コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

中井良太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中井 良太郎(なかい りょうたろう、1887年明治20年)2月4日[1][2] - 1953年昭和28年)12月13日[1][2])は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

[編集]

三重県出身[1][2][3]。農業・中井秀蔵の養嗣子となる[1]大阪陸軍地方幼年学校中央幼年学校を経て、1908年(明治41年)5月、陸軍士官学校(20期)を卒業[1][2][4]。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第4連隊付となった[1][4]1916年(大正5年)11月、陸軍大学校(28期)を卒業した[1][2][3]

陸軍省軍務局付勤務、軍務局課員、陸軍兵器本廠付、歩兵第21連隊大隊長などを歴任[1]1928年(昭和3年)12月から陸大専攻学生となる[1]。翌年12月、人事局付となり、人事局課員などを務めた[1]

1931年(昭和6年)8月、歩兵大佐に昇進し人事局恩賞課長に就任[1][3]歩兵第15連隊長を経て、1936年(昭和11年)8月、陸軍少将に進級[1][3]。歩兵第14旅団長東部防衛参謀長を歴任[1][2][3]1939年(昭和14年)3月、陸軍中将に昇進し東部防衛司令部付となる[1][2][3]

1939年5月、第106師団長に就任し日中戦争に出征[1][2][3]贛湘作戦などに参戦[2]。その後、汕頭方面での掃討作戦に参加した[2]。この作戦を最後に第106師団は1940年(昭和15年)3月9日復員し待命となり、同年4月、予備役に編入された[1][2][3]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]

栄典

[編集]
位階
勲章等

著書

[編集]
  • 『兵役法要義 前編』川流堂小林又七、1922年。
  • 『軍制学大意 - 陸軍篇』兵書出版社、1926年。
  • 『戦闘一般の要領 - 中等学校軍事講話』織田書店、1927年。
  • 『通俗逐条講話兵役法詳解』織田書店、1928年。
  • 『兵役法綱要 - 附・徴発令大要』松華堂書店、1928年。
  • 『心の維新 - 臣道講話』明治図書、1941年。
  • 『日本古戦史の真価』洛陽書院、1941年。
  • 『史考大東亜戦争』二見書房、1942年。
  • 『戦争史観の断片』二見書房、1942年。
  • 『長期戦の国史考』国民新聞社出版部、1942年。
  • 『兵理より観たる産業戦の指導原理』長尾出版報国会、1943年。
  • 『将帥論』ダイヤモンド社、1943年。
  • 『戦略的に観た織豊戦史』電通出版部、1943年。
  • 『思想決戦 - 適思想侵攻とその撃砕』鳴玄社、1944年。
  • 『吾等の世界観』泰文堂、1944年。

親族

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『日本陸海軍総合事典』第2版、111頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 『日本陸軍将官辞典』505頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』253頁。
  4. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』251、253頁。
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」106頁。
  6. ^ 『官報』第7701号「叙任及辞令」1909年3月2日。
  7. ^ 『官報』第8608号「叙任及辞令」1912年3月2日。
  8. ^ 『官報』第1389号「叙任及辞令」1917年3月22日。
  9. ^ 『官報』第2913号「叙任及辞令」1922年4月21日。
  10. ^ 『官報』第151号「叙任及辞令」1927年7月1日。
  11. ^ 『官報』第1434号「叙任及辞令」1931年10月8日。
  12. ^ 『官報』第2928号「叙任及辞令」1936年10月3日。
  13. ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。

参考文献

[編集]
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。