歩兵第35連隊
表示
歩兵第35連隊 | |
---|---|
創設 | 1896年 |
廃止 | 1945年 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 歩兵 |
所在地 | 金沢 - 富山 |
通称号/略称 | 武1533 |
上級単位 | 第9師団 |
最終位置 | 台湾 台中 |
戦歴 | 日露 - シベリア出兵 - 日中 - 第二次世界大戦 |
歩兵第35連隊(ほへいだい35れんたい、歩兵第三十五聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊のひとつ。
沿革
[編集]- 1896年(明治29年) - 石川県野田村(現陸上自衛隊金沢駐屯地など一帯)に連隊本部を設置
- 1898年(明治31年)3月24日 - 軍旗拝受
- 1904年(明治37年) - 日露戦争に従軍
- 1914年(大正3年)4月9日 - 留守隊を設置し事務を開始[1]。
- 1920年(大正9年)1月20日 - スペインかぜの患者十数名がでたので兵士の外出を禁止。1月25日には患者累計140名、死者3名に達した[2]。
- 1921年(大正10年)5月 - シベリア出兵に従軍、ウラジオストクに展開
- 1925年(大正14年)5月 - 金沢から富山に転営。旧歩兵第69連隊のうち600余名と編合した[3]
- 1932年(昭和7年)
- 7月 - 沖縄に移駐し防御陣地の構築にあたる
- 11月 - 台湾へ移駐
- 1945年(昭和20年)8月 - 終戦
歴代連隊長
[編集]代 | 氏名 | 在任期間 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | 山本信行 | 1896.9.25 - 1897.10.11 | 中佐 |
2 | 木村新九郎 | 1897.10.11 - 1898.7.7 | |
3 | 中村正雄 | 1898.7.7 - | 中佐、1901.11.大佐、1904.7.30戦傷 |
4 | 折下勝造 | 1904.8.9 - 8.22 | 中佐、戦死し大佐に特進 |
5 | 佐藤兼毅 | 1904.8.29 - | 中佐 |
6 | 白水淡 | 1905.7.12 - | 中佐 |
7 | 高木常之助 | 1906.2.19 - 1909.5.28 | 中佐、大佐昇進 |
8 | 誉田甚八 | 1909.5.28 - 5.30 | 中佐、1909.5.29大佐、死去 |
9 | 宮川茂三 | 1909.6.1 - 1913.1.15 | |
10 | 早川新太郎 | 1913.1.15 - 1914.5.11 | |
11 | 陶山操 | 1914.5.11 - 1915.8.10 | |
12 | 大立目小一郎 | 1915.8.10 - 1917.8.6 | |
13 | 河上清吉 | 1917.8.6 - | |
14 | 中村四郎太 | 1921.7.20 - | |
15 | 小林道生 | 1924.8.16 - | |
16 | 吉永吉次 | 1926.3.2 - | |
17 | 徳野外次郎 | 1930.3.6 - | |
18 | 苫米地四楼 | 1933.3.18 - | |
19 | 梅村篤郎 | 1935.6.10 - | |
20 | 富士井末吉 | 1937.3.1 - | |
21 | 寺垣忠雄 | 1938.3.1 - | |
22 | 川久保鎮馬 | 1939.7.12 - | |
23 | 平桜政吉 | 1940.9.9 - | |
24 | 奥信夫 | 1943.9.7 - | |
末 | 三好喜平 | 1945.4.7 - |
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』新人物往来社、1990年。
- 原 剛『明治期国土防衛史』錦正社、2002年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 『官報』
- 栗三直隆『スペイン風邪の記憶-大流行の富山県-』桂書房