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山田虎夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山田 虎夫
生誕 1869年8月31日
日本の旗 日本 愛知県
死没 (1956-07-17) 1956年7月17日(86歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1891年 - 1923年
最終階級 陸軍中将
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山田 虎夫(やまだ とらお、1869年8月31日明治2年7月24日) - 1956年昭和31年)7月17日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。位階勲等功級は正四位勲二等功三級[2][3]

経歴・人物

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愛知県士族・加藤喜左衛門の三男として生まれ、山田文忠の養子となり、1873年(明治6年)家督を相続し、前名寅吉を改める[2]

1891年(明治24年)陸軍士官学校第2期卒業[1][4]。翌年、陸軍歩兵少尉に任官する[2][5]

台湾守備混成第1旅団副官、歩兵第8連隊大隊長を経て、1911年(明治44年)12月に陸軍歩兵大佐歩兵第25連隊長に任官[2][4]

1916年大正5年)8月に陸軍少将に進級し、歩兵第28旅団長(第14師団)に転じ、シベリア出兵に従軍[1][4]第12師団に代わり、ウスリーザバイカル沿線の警備に当たった[1]

その後は、1921年(大正10年)6月に陸軍中将・第6師団長を経て、1922年(大正11年)11月に待命、1923年(大正12年)3月に予備役に、1932年(昭和7年)4月に後備役に編入した[1][3][4]1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[6]

書も能くし、舉山と号した。

栄典

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位階
勲章

脚注

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  1. ^ a b c d e 福川 2001, 766頁.
  2. ^ a b c d 人事興信所 1928, ヤ126頁.
  3. ^ a b 『陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿』、昭和9年4月1日調。
  4. ^ a b c d 外山 1981, 98頁.
  5. ^ 外山 1981, 96頁.
  6. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」193頁。
  7. ^ 『官報』第1236号「叙任及辞令」1916年9月12日。
  8. ^ 『官報』第2346号「叙任及辞令」1920年5月29日。

参考文献

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  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 
  • 人事興信所『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127124