広瀬四郎
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広瀬 四郎(ひろせ しろう、1901年(明治34年)3月26日[1] - 1984年(昭和59年)11月10日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]岐阜県出身[1][2]。1921年(大正10年)7月、陸軍士官学校第33期卒業[3]。1931年(昭和6年)陸軍大学校第43期卒業[4]。
参謀本部鉄道班長を経て、1940年(昭和15年)8月、北支那方面軍第3課長となる[2]。1941年(昭和16年)8月、陸軍大佐に進み[2]、大東亜戦争に入ると支那派遣軍に転じた[1]。ついで1943年(昭和18年)8月に第8方面軍第2部長に補され、終戦までラバウルの警備に就いた[1]。この間、1945年(昭和20年)6月10日、陸軍少将に進んだ[1][2]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。