コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

広瀬四郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

広瀬 四郎(ひろせ しろう、1901年明治34年)3月26日[1] - 1984年昭和59年)11月10日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将

経歴

[編集]

岐阜県出身[1][2]1921年(大正10年)7月、陸軍士官学校第33期卒業[3]1931年(昭和6年)陸軍大学校第43期卒業[4]

参謀本部鉄道班長を経て、1940年(昭和15年)8月、北支那方面軍第3課長となる[2]1941年(昭和16年)8月、陸軍大佐に進み[2]大東亜戦争に入ると支那派遣軍に転じた[1]。ついで1943年(昭和18年)8月に第8方面軍第2部長に補され、終戦までラバウルの警備に就いた[1]。この間、1945年(昭和20年)6月10日、陸軍少将に進んだ[1][2]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f 福川 2001, 621頁.
  2. ^ a b c d 外山 1981, 448頁.
  3. ^ 外山 1981, 446頁.
  4. ^ 外山 1981, 付録第一27頁.
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」22頁。

参考文献

[編集]
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 
  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738