柳田元三
表示
柳田 元三 | |
---|---|
生誕 |
1893年1月3日 大日本帝国 長野県 |
死没 |
1952年10月7日(59歳没) ソビエト連邦 モスクワ |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1914年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
柳田 元三(やなぎた げんぞう、1893年(明治26年)1月3日 - 1952年(昭和27年)10月7日)は、日本の陸軍軍人、最終階級は中将。
人物・来歴
[編集]長野県東筑摩郡片丘村(現塩尻市)の小松家に生まれる[1]。のちに母親の旧姓で旧諏訪藩士の柳田家を継いだ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、幼年学校、陸軍士官学校を経て、陸軍大学校を通して、稀代の秀才と言われる。
陸大(34期)卒業時には、成績優秀(4位/68名[2])により恩賜の軍刀を受けた。同じく陸大の恩賜の軍刀組である小松慶也(陸士9期)は、柳田の叔父に当たる。
年譜
[編集]- 1914年 陸軍士官学校卒業(第26期)
- 1922年 陸軍大学校卒業(第34期優等)
- 1932年12月7日 ポーランド公使官附陸軍武官兼ルーマニア公使館附陸軍武官
- 1934年3月5日 関東軍参謀
- 1935年8月1日 陸軍省軍務局徴募課高級課員
- 1936年8月1日 近衛師団参謀
- 1937年8月2日 陸軍歩兵大佐・陸軍省軍務局徴募課長
- 1938年7月15日 歩兵第1連隊長
- 1939年8月1日 陸軍少将・第11軍参謀副長
- 1940年3月9日 ハルビン特務機関長
- 1940年8月1日 関東軍情報部長
- 1942年12月1日 中将に昇進
- 1943年3月10日 第33師団長に任ぜられる。
- 1944年5月16日 インパール作戦失敗のさなか、上級部隊の第15軍司令官牟田口廉也中将と対立、第33師団長を解任され参謀本部付となる。
- 1944年6月22日 予備役編入。
- 1944年6月23日 召集・旅順要塞司令官
- 1945年5月30日 関東州警備司令官に任ぜられる[3]。
- 1945年8月 敗戦によりソ連に抑留される。
- 1952年10月7日 モスクワで死去
- 2010年9月6日 厚生労働省によりシベリア・モンゴル地域で死亡した15人のうちの一人として身元が特定される。
栄典
[編集]- 外国勲章佩用允許
脚注
[編集]- ^ a b 赤羽ほか 1989, 747頁.
- ^ 秦 2005, pp. 545–611, 第3部 陸海軍主要学校卒業生一覧-I 陸軍-1.陸軍大学校卒業生
- ^ 外山・森松 1987, 1222頁.
- ^ 「吉野好武外九千三百五十七名満洲国勲章記章受領及佩用の件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113503900
参考文献
[編集]- 赤羽篤ほか 編『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。ISBN 4876631263。
- 秦郁彦 編著『日本陸海軍総合事典』(第2版)東京大学出版会、2005年。
- 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
関連書籍
[編集]- 高木俊朗『インパール』(文春文庫)(1975年1月、文藝春秋)ISBN 978-4167151010
- 山岡荘八『小説 太平洋戦争(1994年8月、講談社)ISBN 978-4062070911