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石井英橘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石井 英橘
いしい えいきつ
生誕 1881年11月30日
日本の旗 日本和歌山県
死没 (1945-09-06) 1945年9月6日(63歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1902 - 1932
最終階級 陸軍中将
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石井 英橘(いしい えいきつ、1881年明治14年)11月30日[1]1945年昭和20年)9月6日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

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1881年(明治14年)11月、和歌山県に石井武次郎の二男として生まれた。1901年(明治34年)11月22日に陸軍士官学校(13期)を卒業し、1902年(明治35年)6月23日に工兵少尉に任ぜられ、同日付で鉄道大隊付に補される[2]1904年(明治37年)8月2日に工兵中尉に昇進[3]し、1907年(明治40年)12月18日に陸軍砲工学校(13期)高等科を卒業後、同月21日に工兵大尉に昇進し鉄道連隊付に補せられた[4]後、1912年(明治45年)7月10日には東京帝国大学理科大学実験物理学科を卒業した[5]。その後、陸地測量部班長を経て、1916年(大正5年)5月2日に工兵少佐に昇進[6]し、陸軍砲工学校教官を経て、1919年(大正8年)11月1日に工兵中佐に昇進[7]1923年(大正12年)8月6日には工兵大佐に昇進し陸地測量部三角科長を命ぜられ[8]、工兵第十六大隊長を経て、1928年(昭和3年)8月10日、陸軍少将に昇進し陸軍科学研究所第一部長に就任[9]。その後、陸地測量部長を歴任し、1932年(昭和7年)12月7日、陸軍中将に昇進[10]し、同日付で待命となり、同月27日予備役に編入された[11]

栄典

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脚注

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  1. ^ a b 『日本陸軍将官辞典』59頁。
  2. ^ 『官報』第5690号、明治35年6月24日。
  3. ^ 『官報』第6328号、明治37年8月3日。
  4. ^ 『官報』第7347号、明治40年12月23日。
  5. ^ 『官報』第8719号、明治45年7月12日。
  6. ^ 『官報』第1124号、大正5年5月3日。
  7. ^ 『官報』第2174号、大正8年11月3日。
  8. ^ 『官報』第3306号、大正12年8月7日。
  9. ^ 『官報』第488号、昭和3年8月11日。
  10. ^ 『官報』第1783号、昭和7年12月8日。
  11. ^ 『官報』第1800号、昭和7年12月28日。
  12. ^ 『官報』第5805号、明治35年11月8日。
  13. ^ 『官報』第6401号、明治37年10月29日。
  14. ^ 『官報』第7034号、明治39年12月8日。
  15. ^ 『官報』第7418号、明治41年3月23日。
  16. ^ 『官報』第241号、大正2年5月21日。
  17. ^ 『官報』第251号、大正2年6月2日。
  18. ^ 『官報』第1782号、大正7年7月11日。
  19. ^ 『官報』第2046号、大正8年5月31日。
  20. ^ 『官報』第2669号、大正10年6月24日。
  21. ^ 『官報』第3307号、大正12年8月8日。
  22. ^ 『官報』第535号、昭和3年10月5日。
  23. ^ 『官報』第1585号、昭和7年4月14日。
  24. ^ 『官報』第1783号、昭和7年12月8日。
  25. ^ 『官報』第1816号、昭和8年1月21日。
  26. ^ 『官報』第2822号附録、昭和11年6月1日。
  27. ^ 『官報』第2603号附録、昭和10年9月4日。
  28. ^ 『官報』第4438号付録、昭和16年10月23日。

参考文献

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軍職
先代
大村齊
陸地測量部
第11代:1929年8月1日 - 1932年12月7日
次代
鈴木元長