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守永弥惣次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
守永 弥惣次
生誕 1872年1月16日
日本の旗 日本 山口県
死没 (1943-05-23) 1943年5月23日(71歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1896年 - 1923年
最終階級 陸軍少将
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守永 弥惣次(別体字:守永 彌惣次、もりなが やそじ、1872年1月16日明治4年12月7日〉 - 1943年昭和18年〉5月23日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将

経歴・人物

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山口県出身[1][2]1896年(明治29年)陸軍士官学校第7期卒業[1][2]1903年(明治36年)陸軍大学校第17期卒業[1][2]

1915年(大正4年)8月に浜田連隊区司令官、1916年(大正5年)11月に陸軍歩兵大佐1917年(大正6年)8月に台湾歩兵第2連隊長、1921年(大正10年)6月に陸軍少将・歩兵第18旅団長を経て、1923年(大正12年)8月に待命、同年9月に予備役に編入した[1][2]

著作

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  • 『従軍余録』高橋信定、1905年。
  • 『家族制度と家庭教育』、1925年。

脚注

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  1. ^ a b c d e 『日本陸軍将官辞典』732頁。
  2. ^ a b c d 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』129頁。

参考文献

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  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。