守永弥惣次
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守永 弥惣次 | |
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生誕 |
1872年1月16日 日本 山口県 |
死没 | 1943年5月23日(71歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1896年 - 1923年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
守永 弥惣次(別体字:守永 彌惣次、もりなが やそじ、1872年1月16日〈明治4年12月7日〉 - 1943年〈昭和18年〉5月23日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴・人物
[編集]山口県出身[1][2]。1896年(明治29年)陸軍士官学校第7期卒業[1][2]。1903年(明治36年)陸軍大学校第17期卒業[1][2]。
1915年(大正4年)8月に浜田連隊区司令官、1916年(大正5年)11月に陸軍歩兵大佐、1917年(大正6年)8月に台湾歩兵第2連隊長、1921年(大正10年)6月に陸軍少将・歩兵第18旅団長を経て、1923年(大正12年)8月に待命、同年9月に予備役に編入した[1][2]。
著作
[編集]- 『従軍余録』高橋信定、1905年。
- 『家族制度と家庭教育』、1925年。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。