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神田正種

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
神田 正種
神田正種
生誕 1890年4月24日
大日本帝国の旗 大日本帝国 愛知県
死没 (1983-01-15) 1983年1月15日(92歳没)
日本の旗 日本
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1911年 - 1945年
最終階級 陸軍中将
指揮 第17軍司令官
第6師団
歩兵第45連隊
戦闘 第二次世界大戦
*ブーゲンビル島の戦い
除隊後 全国第17軍ソロモン会
(現:全国ソロモン会)初代会長
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神田 正種(かんだ まさたね、1890年明治23年)4月24日 - 1983年昭和58年)1月15日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

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愛知県出身。佐枝種永の二男として生れ、神田正富陸軍中佐の養子となる。台北師範学校附属中学校、熊本陸軍地方幼年学校中央幼年学校を経て、1911年5月、陸軍士官学校(23期)を卒業。同年12月、歩兵少尉任官、歩兵第18連隊付となる。1919年11月、陸軍大学校(31期)を卒業。

参謀本部付勤務、参謀本部員(ロシア班)、浦塩派遣軍司令部付、関東軍司令部付(南満州鉄道ハルピン事務所)、歩兵第39連隊大隊長、朝鮮軍参謀、陸大専攻学生、トルコ大使館武官、参謀本部員(ロシア班長)兼陸大教官、参謀本部課長、歩兵第45連隊長、教育総監部第1課長などを経て、1938年7月、陸軍少将に進級。教育総監部第1部長、参謀本部総務部長などを歴任し、1941年3月、陸軍中将となった。1941年4月1日から1945年4月1日まで、第6師団長となる。

太平洋戦争には、第6師団長として出征、ブーゲンビル島の戦いに従軍。1945年4月、第17軍司令官となり、終戦を迎えた。

1947年3月に復員したが、BC級戦犯容疑により起訴された。1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[1]。同年11月、禁固14年の判決を受け、1952年8月に釈放された。

1965年10月24日、ソロモン群島方面よりの帰還兵で構成される戦友会設立にて、全国第17軍ソロモン会(現:全国ソロモン会)初代会長に就任。戦没者の慰霊事業と遺骨収集に尽力した。

栄典

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勲章等
外国勲章佩用允許

脚注

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  1. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十三年一月三十一日 仮指定者」210頁。
  2. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  3. ^ 『官報』第4632号 付録「辞令二」1942年6月20日。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。