歩兵第45連隊
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歩兵第45連隊 | |
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日露戦争での歩兵第45連隊 | |
創設 | 1896年 |
廃止 | 1945年 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 歩兵 |
所在地 | 熊本 - 鹿児島 |
通称号/略称 | 明9020 |
上級単位 | 第6師団 |
最終位置 | ソロモン諸島 ブーゲンビル島 |
戦歴 | 日露 - 済南事件 - 日中 - 第二次世界大戦 |
歩兵第45連隊(ほへいだい45れんたい、歩兵第四十五聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊のひとつ。
沿革
[編集]- 1896年(明治29年) - 熊本城内にて連隊本部を設置
- 1897年(明治30年)3月 - 鹿児島市外の伊敷村に転営
- 1898年(明治31年)3月24日 - 軍旗拝受
- 1904年(明治37年) - 日露戦争に従軍
- 1914年(大正3年)1月12日 - 桜島の大正大噴火及び桜島地震が発生。歩兵第45連隊は照国神社に衛戍司令部を置き、混乱していた鹿児島市内の火災防止及び治安維持にあたった[1]。
- 1922年(大正11年) - 遼陽に駐屯
- 1924年(大正13年) - 帰還
- 1928年(昭和3年)4月 - 済南事件に2個大隊が出動
- 1931年(昭和6年)11月19日 - 陸軍特別大演習参加後の昭和天皇が練兵場に行幸[2]。
- 1933年(昭和8年) - 満州事変後に熱河作戦や長城作戦に参加し11月に帰還
- 1937年(昭和12年)
- 3月 - 南昌作戦
- 9月 - 贛湘作戦
- 1942年(昭和17年)
- 1943年(昭和18年)
- 8月 - 終戦。最終的に帰還・復員できたのは六千余名のうち八百余名であった。
歴代連隊長
[編集]代 | 氏名 | 在任期間 | 備考 |
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1 | 野島丹蔵 | 1896.9.25 - 1903.3.14 | 中佐、1899.12.大佐 |
2 | 太田栄次郎 | 1903.3.14 - | 中佐、1903.12.大佐 |
3 | 吉岡竹次郎 | 1905.4.14 - 1909.9.3 | 中佐、1905.4.19大佐 |
4 | 山崎義重 | 1909.9.7 - 1913.8.22 | |
5 | 浜面又助 | 1913.8.22 - 1915.1.25 | |
6 | 高梨慶三郎 | 1915.1.25 - | |
7 | 石川武文 | 1918.9.9 - 1922.8.15[3] | |
8 | 宮崎虎喜 | 1922.8.15 - | |
9 | 末松茂治 | 1925.5.1 - | |
10 | 末松俊造 | 1926.3.2 - | |
11 | 深沢友彦 | 1929.8.1 - | |
12 | 伊藤貞雄 | 1930.12.22 - 1932.8.8[4] | |
13 | 迎専八 | 1932.8.8 - | |
14 | 伊藤精司 | 1933.8.1 - | |
15 | 神田正種 | 1936.3.7 - | |
16 | 竹下義晴 | 1937.10.27 - | |
17 | 若松平治 | 1938.7.15 - | |
18 | 池田純久 | 1939.8.1 - | |
19 | 平岡力 | 1940.8.1 - | |
20 | 真方勲 | 1942.11.18 - | |
末 | 福永康夫 | 1945.4.27 - |
脚注
[編集]- ^ 中央防災会議(2011)、p.92-93.
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、71頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ 『官報』第3013号、大正11年8月16日。
- ^ 『官報』第1683号、昭和7年8月9日。
参考文献
[編集]- 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』新人物往来社、1990年。
- 原 剛『明治期国土防衛史』錦正社、2002年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 歩兵第四十五聯隊ソロモン戦誌編さん委員会「歩兵第四十五聯隊ソロモン戦誌」1985年。
- 『官報』
- 中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 1914桜島噴火」中央防災会議、2011
関連項目
[編集]- 大日本帝国陸軍連隊一覧
- 歩兵第36旅団(チェスト部隊)
- 独立混成第44旅団 (日本軍)
- 鹿児島県立短期大学-跡地に立地。当時の営門が正門に転用されている。