宮崎虎喜
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宮崎 虎喜 | |
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生誕 |
1873年10月6日 日本 高知県香美郡夜須村西山 |
死没 | 1946年2月13日(72歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1897年 - 1926年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
宮崎 虎喜(みやざき とらき、1873年(明治6年)10月6日[1] - 1946年(昭和21年)2月13日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。位階勲等功級は従四位勲三等功四級[2][3]。
経歴・人物
[編集]高知県香美郡夜須村西山(現・香南市夜須町西山)に生まれる[2]。周馬・政の長男[2]。高知県尋常中学校(現・高知県立高知追手前高等学校)から東京成城中学校に転校し、1897年(明治30年)陸軍士官学校第9期卒業[1][2]。第3軍に属し、日露戦争に出征[2]。
1913年(大正2年)台湾総督府陸軍副官[2]、1920年(大正9年)8月に津連隊区司令官、1921年(大正10年)7月に陸軍歩兵大佐を経て、1922年(大正11年)8月に歩兵第45連隊長に任ぜられた[3]。
その後、1925年(大正14年)5月に富山連隊区司令官、同年8月に第9師団司令部附を経て、1926年(大正15年)3月2日に陸軍少将に昇進と同時に待命、同年3月22日に予備役に編入した[1][3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 『高知県人名事典 新版』高知新聞社、1999年。ISBN 4875032854。