広瀬季彦
表示
広瀬 季彦 | |
---|---|
生誕 |
1875年10月3日 日本 京都府 |
死没 | 1958年1月17日(82歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1897年 - 1926年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
広瀬 季彦(廣瀬 季彦、ひろせ すえひこ、1875年(明治8年)10月3日 - 1958年(昭和33年)1月17日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴・人物
[編集]京都府出身[1]。1897年(明治30年)陸軍士官学校第9期卒業[1]。
1918年(大正7年)7月に京都連隊区司令官、1920年(大正9年)8月に陸軍歩兵大佐、1922年(大正11年)8月に歩兵第50連隊長、1924年(大正13年)2月に第8師団司令部附を経て、同年4月に陸軍少将に昇進した[2]。その後、1926年(大正15年)3月2日に待命、同月22日に予備役に編入した[1][2]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。