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中山蕃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中山 蕃

中山 蕃(なかやま しげる、1883年11月24日 - 1969年3月7日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将長野県木曽郡福島村(現木曽町)出身。官位は正四位勲一等功五級。

人物

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一人っ子で育った。長身だったため、女性に非常にもてたとこのこと。

息子は3人。長男は耳鼻科医の中山克美、次男は内科医の中山博夫、三男は上智大学名誉教授の中井晶夫。

甥の中井一夫は、日本人で初めて空母エンタープライズに体当たりを敢行、壮烈な戦死を遂げた海軍大尉であった。

経歴

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  • 陸軍士官学校16期、陸軍大学校25期
  • 明治37年(1904年)10月24日 陸軍士官学校卒業
  • 明治37年(1904年)11月1日 陸軍騎兵少尉任官 騎兵第1連隊附
  • 明治40年(1907年)12月21日 陸軍騎兵中尉昇進
  • 明治43年(1910年)12月12日 陸軍大学校入校
  • 大正2年(1913年)11月26日 陸軍大学校卒業
  • 大正3年(1914年)6月26日 陸軍騎兵大尉昇進
  • 大正4年(1915年)4月10日 騎兵第1連隊中隊長
  • 大正4年(1915年)10月4日 騎兵第1連隊附
  • 大正5年(1916年)4月1日 参謀本部員
  • 大正7年(1918年)8月 普拉辛斯克特務機関長(大正8年(1919年)12月まで)
  • 大正8年(1919年)10月28日 参謀本部附
  • 大正8年(1919年)12月25日 参謀本部員
  • 大正9年(1920年)4月22日 陸軍騎兵少佐昇進
  • 大正9年(1920年)5月7日 樺太州派遣軍参謀
  • 大正9年(1920年)11月1日 功五級金鵄勲章
  • 大正10年(1921年)7月1日 参謀本部員
  • 大正12年(1923年)3月17日 第15師団参謀
  • 大正13年(1924年)3月15日 陸軍騎兵中佐昇進
  • 大正14年(1925年)5月1日 第3師団参謀
  • 大正14年(1925年)12月2日 騎兵第7連隊長
  • 昭和2年(1927年)7月26日 陸軍騎兵大佐昇進
  • 昭和3年(1928年)5月30日 騎兵第13連隊長
  • 昭和4年(1929年)12月10日 朝鮮軍参謀
  • 昭和7年(1932年)8月8日 陸軍少将昇進 騎兵監部附
  • 昭和8年(1933年)12月20日 騎兵第1旅団長
  • 昭和9年(1934年)4月29日 勲二等旭日重光章
  • 昭和11年(1936年)3月7日 軍馬補充部本部長(昭和12年(1937年)8月2日まで)
  • 昭和11年(1936年)4月28日 陸軍中将昇進
  • 昭和12年(1937年)8月26日 騎兵監
  • 昭和14年(1939年)3月23日 勲一等瑞宝章
  • 昭和14年(1939年)10月2日 待命
  • 昭和14年(1939年)10月31日 予備役編入
  • 昭和14年(1939年)11月22日 正四位
  • 昭和17年(1942年)4月24日 勲一等旭日大綬章
  • 1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]
  • 昭和44年(1969年)3月7日 87歳で死去

栄典

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位階

脚注

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  1. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」106頁。
  2. ^ 『官報』第6441号「叙任及辞令」1904年12月17日。
  3. ^ 『官報』第264号「叙任及辞令」1927年11月14日。