宮崎繁樹
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宮崎 繁樹(みやざき しげき、1925年10月21日 - 2016年4月10日[1])は、日本の法学者。明治大学名誉教授。財団法人人権教育啓発推進センター顧問。専門は国際法。学位は、法学博士(明治大学・1962年)(学位論文「ザールラントの法的地位」)[2]。
略歴
[編集]出典:[3]
- 1926年新潟県新発田市出身
- 1939年麻布中学校中退
- 1942年陸軍幼年学校卒業
- 1945年
- 1947年
- 1949年明治大学法学部法律学科卒業
- 1951年弁護士登録
- 1952年明治大学法学部非常勤講師
- 1953年明治大学法学部助教授
- 1959年明治大学法学部教授
- 1960年三和鉄軌工業監査役
- 1964年明治大学外国法インスティチュート所長(1973年まで)
- 1965年明治大学学生部長(1967年まで)
- 1975年明治大学法学部長(1976年まで)
- 1992年明治大学総長(1996年まで)[4]
- 1997年財団法人人権教育啓発推進センター理事長(2006年まで)
人物
[編集]学外における役職
[編集]- 早稲田大学大学院法学研究科・法学部非常勤講師(1966年-1993年)
- 日本国際法律家協会副会長(1984年-1986年)
- 世界法学会理事長(1987年-1990年)
- 国際人権法学会理事長(1991年-1994年)[5]
- 朝鮮奨学会理事[6]
叙勲歴
[編集]著書
[編集]単著
[編集]- 『国際法要論――国際法講義案』(文雅堂, 1955年)
- 『国際法における国家と個人』(未來社, 1963年)
- 『ザールランドの法的地位』(未來社, 1964年)
- 『国際法』(日本評論社, 1965年/新訂版, 1977年/三訂版, 1979年)
- 『人権と平和の国際法』(日本評論社, 1968年)
- 『戦争と人権』(学陽書房, 1976年)
- 『国際法綱要』(成文堂, 1984年)
- 『世界の人権と同和問題――人権の世紀をめざして』(明石書店, 1996年)
共著
[編集]編著
[編集]- 『亡命と入管法――各国における法的処遇』(築地書館, 1971年)
- 『多国籍企業の法的研究――入江啓四郎先生追悼』(成文堂, 1980年)
- 『国際法』(同文館出版, 1981年)
- 『現代国際人権の課題』(三省堂, 1988年)
- 『国際人権規約先例集――規約人権委員会精選決定集 (1-2)』(東信堂, 1989年-1995年)
- 『解説国際人権規約』(日本評論社, 1996年)
共編著
[編集]- (経塚作太郎・杉山茂雄)『国際法講義』(青林書院新社, 1970年)
- (鈴木二郎・隅谷三喜男)『日本と朝鮮を考える』(二月社, 1978年)
- (五十嵐二葉・水谷規男・佐々木光明)『国際人権基準による刑事手続ハンドブック』(星雲社, 1991年)
- (磯村英一)『現代の人権と同和問題』(明石書店, 1996年)
- 高等学校教科書『新現代社会』(三省堂,1982年~1993年)
訳書
[編集]- ケルゼン『ケルゼン全集(3)正義とは何か』(木鐸社, 1978年)
- ディビット・セルビー『ヒューマン・ライト――いま世界の人権は』(日本評論社, 1988年)
- カタリナ・トマチェフスキー『開発援助と人権』(国際書院, 1992年)
脚注
[編集]- ^ “【訃報】宮崎繁樹氏=元明治大総長”. 読売新聞. (2016年4月18日) 2016年4月18日閲覧。
- ^ 国立国会図書館. “博士論文『ザールラントの法的地位』”. 2023年4月2日閲覧。
- ^ 宮崎繁樹(みやざき しげき)とは? 意味や使い方 - コトバンク
- ^ 以上につき、(住吉良人)編『現代国際法と人権の諸相 宮崎繁樹先生古希記念』(成文堂, 1996年)337頁以下
- ^ 以上につき、同上337頁以下
- ^ 公益財団法人 朝鮮奨学会 役員・評議員名簿 [1]