木島袈裟雄
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木島 袈裟雄 | |
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生誕 |
1889年11月20日 日本 長野県 |
死没 | 1965年2月10日(75歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1911年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
木島 袈裟雄(きじま けさお、1889年(明治22年)11月20日 - 1965年(昭和40年)2月10日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]長野県出身。1911年(明治44年)5月、陸軍士官学校(23期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官。
1938年(昭和13年)5月、特設の歩兵第123連隊長に就任し、日中戦争に出征。同年7月、歩兵大佐に昇進。武漢作戦、南昌作戦、贛湘作戦などに参戦。1940年(昭和15年)4月に復員し留守第6師団司令部附となる。1940年(昭和15年)8月、再編成された歩兵第123連隊長に就任。
1943年(昭和18年)3月、陸軍少将に進級し、第17歩兵団長に発令された。同年5月、第8方面軍隷下となり、西部ニューブリテン島の守備を担当。ブーゲンビル島の戦いに参戦。1944年(昭和19年)7月、独立混成第38旅団長に就任。ブーゲンビル島に残留しオーストラリア軍と戦闘を交える中で終戦を迎えた。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]。
脚注
[編集]- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」54頁。