隈部親信
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隈部 親信(くまべ ちかのぶ、明治2年6月17日[1](1869年7月25日) - 昭和9年(1934年)8月6日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]長野県北佐久郡小諸町(現在の小諸市)で旧小諸藩士隈部忠良の三男として生まれる[3]。1890年(明治23年)7月[4]、陸軍士官学校(1期)を卒業[2]、 1890年(明治23年)7月29日の官報によると、陸軍士官学校第1期を歩兵科37番/103名で卒業している。1891年(明治24年)3月[4]に歩兵少尉に任官し、歩兵第3連隊附[3]。歩兵第2連隊中隊長、陸軍省人事課員、参謀本部副官、第1師団軍法会議判士長などを務めた[3]。日清戦争・北清事変に出征し、日露戦争では歩兵第2連隊大隊長として転戦し、第3回旅順総攻撃に第1師団副官として参加した[3]。
1910年(明治43年)6月、憲兵科に転じて韓国駐箚憲兵隊長となり、次いで統監府警務部長となった[3]。韓国併合直後に朝鮮総督府警務部長・憲兵隊長として治安維持に当たり、同年11月[5]に憲兵大佐に昇進した[1][2]。1917年(大正6年)7月28日[5][6][注 1]、陸軍少将に昇進して関東憲兵隊長に転じ[1][2][5]、同月31日、関東都督府警務総長に任じられた[7]。1919年(大正8年)7月待命、同年11月に予備役編入[2]。
その後は小諸町長を務めた[8]。
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『日本陸軍将官辞典』278頁では7月23日に少将昇進としているが誤り。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 北川由之助編『日本之精華』毎日通信社、1914年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。