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隈部親信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

隈部 親信(くまべ ちかのぶ、明治2年6月17日[1]1869年7月25日) - 昭和9年(1934年8月6日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将

経歴

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長野県北佐久郡小諸町(現在の小諸市)で旧小諸藩士隈部忠良の三男として生まれる[3]1890年(明治23年)7月[4]陸軍士官学校(1期)を卒業[2]1890年(明治23年)7月29日の官報によると、陸軍士官学校第1期歩兵科37番/103名で卒業している。1891年(明治24年)3月[4]歩兵少尉に任官し、歩兵第3連隊[3]歩兵第2連隊中隊長、陸軍省人事課員、参謀本部副官、第1師団軍法会議判士長などを務めた[3]日清戦争北清事変に出征し、日露戦争では歩兵第2連隊大隊長として転戦し、第3回旅順総攻撃第1師団副官として参加した[3]

1910年(明治43年)6月、憲兵科に転じて韓国駐箚憲兵隊長となり、次いで統監府警務部長となった[3]韓国併合直後に朝鮮総督府警務部長・憲兵隊長として治安維持に当たり、同年11月[5]に憲兵大佐に昇進した[1][2]1917年大正6年)7月28日[5][6][注 1]、陸軍少将に昇進して関東憲兵隊長に転じ[1][2][5]、同月31日、関東都督府警務総長に任じられた[7]1919年(大正8年)7月待命、同年11月に予備役編入[2]

その後は小諸町長を務めた[8]

親族

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『日本陸軍将官辞典』278頁では7月23日に少将昇進としているが誤り。

出典

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  1. ^ a b c 人事興信録 1918.
  2. ^ a b c d e 日本陸軍将官辞典 pp.278-279 2001.
  3. ^ a b c d e 日本之精華 長野県之部pp.30-31 1914.
  4. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』91頁。
  5. ^ a b c 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』96頁。
  6. ^ 『官報』第1499号、大正6年7月31日。
  7. ^ 『官報』第1500号、大正6年8月1日。
  8. ^ 『職員録 大正15年7月1日』印刷局、1926年、p.793

参考文献

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  • 北川由之助編『日本之精華』毎日通信社、1914年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。 
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。