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黒田周一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
黒田 周一
生誕 1879年3月18日
日本の旗 日本 徳島県
死没 1962年
福岡県久留米市
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1902年 - 1930年
最終階級 陸軍少将
墓所 都立多磨霊園
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黒田 周一(くろだ しゅういち、1879年明治12年)3月18日 - 没年不明[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将

経歴・人物

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徳島県出身[1][2]1902年(明治35年)陸軍士官学校第14期卒業[1][2]1912年大正元年)陸軍大学校第24期卒業[1][2]

1923年(大正12年)11月に陸軍歩兵大佐関東軍高級参謀、1926年(大正15年)3月に歩兵第30連隊長を経て、1927年(昭和2年)7月に第6師団参謀長に任官[2]済南事件に出動した[1]

ついで、1929年(昭和4年)8月に陸軍少将・歩兵第24旅団長を経て、1930年(昭和5年)8月1日に待命、同月29日に予備役に編入した[1][2]

著作

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  • 『同生同死の友邦満洲国の正観』1933年。

脚注

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  1. ^ a b c d e f 福川 2001, 289頁.
  2. ^ a b c d e 外山 1981, 189頁.

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026