水谷吉蔵
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水谷 吉蔵(みずたに きちぞう、1880年(明治13年)8月30日 - 1945年(昭和20年)5月8日[1])は日本の陸軍軍人、政治学者。法政大学法学部教授、最終階級は陸軍輜重兵少佐。日本に初めて戦車を導入する際、イギリスに派遣された人物。
略歴
[編集]1880年(明治13年)8月30日、大阪府に生まれる。1902年(明治35年)に陸軍士官学校14期を卒業し、1903年(明治36年)に少尉に任官する。日露戦争では、遼陽会戦、沙河会戦、奉天会戦に参加する。1909年(明治42年)に大尉に昇進し、第10師団軍法会議判士に任ぜられる。1913年(大正2年)に陸軍軍法会議法案審査委員に任じられ、1917年(大正6年)に欧米(英、米、仏、伊)に派遣され、1918年(大正7年)に少佐に昇進する。1921年(大正10年)に予備役となり、帝国自動車学校校長を務める。1925年(大正14年)に法政大学法学部を卒業、1931年(昭和6年)に同大学大学院を修了する。1938年(昭和13年)4月に法政大学法学部兼専門部教授に就任し、同年9月に法政中学校校長を兼務する。1942年(昭和17年)、『国際政治の指導原理と高度国防国家の必然性』により法学博士(法政大学)を取得する[2]。
書籍
[編集]単著
[編集]- 『新兵馬術教育』(校閲)喜多山淡二郎(一二三館 1908)
- 『自動車操縦術』(帝国自動車学校、1923)
- 『自動車機構並取扱術』(新栄社出版部、1925)
- 『自動車学と法規』(兵林館、1928)
- 『国際政治と戦争』(平凡社、1932)
- 『国際軍縮と国際聯盟の非合理性』(知進社、1934)
- 『国際政局と雄大なる皇国の使命』(日本協会出版部、1938)
- 『政治学要綱』(叢文閣、1939)
- 『政治学大綱』(有精堂、1943)
編集
[編集]- 『輜重兵須知』(軍友協会、1915)
参考
[編集]- 『自動車操縦術』(帝国自動車学校、1923)
- 『法政大学校友名鑑』(法政大学、1941)
脚注
[編集]- ^ 『輜重兵概史 : 座談会』偕行社〈偕行社叢書〉、1978年、115頁。NDLJP:12230229。
- ^ 国際政治の指導原理と高度国防国家の必然性