阿南惟晟
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阿南 惟晟(あなみ これあきら、1923年〈大正12年〉5月[1] - 1943年〈昭和18年〉11月20日)は、日本の陸軍軍人。太平洋戦争末期の陸軍大臣、阿南惟幾の次男。
経歴
[編集]1941年東京府立第一中学校を卒業後、[要出典]陸軍士官学校に入学。同校56期卒業生。
陸軍砲兵少尉として太平洋戦争に出陣したが、1943年(昭和18年)11月20日、常徳殲滅作戦に於いて戦死。20歳没。戦死後、一階級昇進し中尉となった。墓所は多磨霊園。
家族
[編集]- 父・阿南惟幾(1887年生まれ、元陸軍大臣)
- 母・阿南綾子(1898年生まれ、竹下平作の次女[1])
- 兄・阿南惟敬(1921年生まれ、元防衛大学校教授)
- 妹・秋富喜美子(1926年生まれ[2]、秋富公正の妻[3][4])
- 弟・阿南惟正(1933年生まれ、元新日本製鐵副社長、靖国神社氏子総代)
- 妹・大國聡子(1936年生まれ[1]、大國昌彦・元王子製紙社長の妻)
- 弟・野間惟道(1937年生まれ、野間家へ養子、元講談社社長)
- 弟・阿南惟茂(1941年生まれ、元駐中国大使)
脚注
[編集]- ^ a b c 「人事興信録 第14版 上」国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 「大衆人事録 第10版」国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 「人事興信録 第17版 上」国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 「人事興信録 第19版 上」国立国会図書館デジタルコレクション