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大谷一男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大谷 一男
生誕 1879年12月7日
高知県 長岡郡五台山村
死没 1949年8月9日
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1900 - 1935
最終階級 陸軍中将
指揮 第12師団
旅順要塞司令官
歩兵第38旅団長
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大谷 一男(おおたに かずお、1879年明治12年)12月7日[1] - 1949年昭和24年)8月9日[要出典])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

履歴

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1878年(明治11年)長岡郡五台山村(現在の高知市)に生まれた[要出典]1898年(明治31年)、高知県尋常中学校卒を経て[要出典]1900年(明治33年)11月、陸軍士官学校(12期)を卒業[1][2]。翌年6月、歩兵少尉に任官[2]1912年(大正元年)11月、陸軍大学校(24期)を卒業[1][3]

1922年(大正11年)11月、歩兵大佐に昇進し、陸士本科訓育部長に就任[3]近衛歩兵第2連隊長、第8師団参謀長を歴任[3]1927年(昭和2年)7月、陸軍少将に進級し歩兵第38旅団長となる[1][3]1930年(昭和5年)3月、近衛師団司令部付となり、1931年(昭和6年)10月、旅順要塞司令官に着任[1][3]

1932年(昭和7年)4月、陸軍中将に進み陸軍歩兵学校長に就任[1][3]1933年(昭和8年)3月、第12師団長(久留米)に親補された[1][3]1935年(昭和10年)3月、待命となり予備役に編入された[1][3]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]

栄典

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位階
勲章

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 『日本陸軍将官辞典』153頁。
  2. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』165、170頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』170頁。
  4. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」122頁。
  5. ^ 『官報』第5484号「叙任及辞令」1901年10月11日。
  6. ^ 『官報』第8185号「叙任及辞令」1910年10月1日。
  7. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 『高知県人名事典』高知市民図書館、1970年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。