寺島敏三
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寺島敏三 てらしま としぞう てらじま としぞう | |
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生年月日 | 1879年12月10日 |
没年月日 | 1942年10月9日(62歳没) |
出身校 | 陸軍士官学校卒業 |
前職 | 陸軍騎兵大尉 |
所属政党 | 公正会 |
称号 | 従三位 |
配偶者 | 寺島トシ |
親族 |
父・有地品之允(貴族院議員) 養父・寺島秋介(貴族院議員) 叔父・梨羽時起(貴族院議員) 兄・有地藤三郎(貴族院議員) |
在任期間 | 1918年7月10日 - 1932年7月9日 |
寺島 敏三(てらしま[1] / てらじま[2] としぞう、1879年(明治12年)12月10日[1] - 1942年(昭和17年)10月9日[1][2])は、日本の陸軍軍人、政治家、華族。最終階級は陸軍騎兵大尉。貴族院男爵議員。旧姓・有地[1]。
経歴
[編集]海軍士官・有地品之允の四男として生まれ、男爵・寺島秋介の養子となる[1][3]。養父の死去に伴い1911年(明治44年)2月8日、男爵を襲爵した[1][3][4]。
陸軍士官学校(14期)に入り[5]、1902年(明治35年)11月22日に卒業し[6]、1903年(明治36年)6月26日、騎兵少尉に任官[2][7]。以後、近衛騎兵連隊付、野戦近衛師団管理部付、近衛騎兵連隊中隊長などを歴任し、日露戦争に出征した[2][3]。1912年、騎兵大尉に昇進し、1914年(大正3年)予備役に編入された[2][3]。
1918年(大正7年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[8][9]、公正会に所属して活動し1932年(昭和7年)7月9日まで2期在任した[2]。
栄典
[編集]親族
[編集]- 妻 寺島トシ(益田精祥娘)[1]
- 長男 寺島直太郎(男爵)[1]
- 姉 小藤梅子(小藤文次郎夫人)[11]
- 兄 有地藤三郎(海軍造兵大佐・貴族院議員)[11]
- 弟 有地十五郎(海軍中将)[11]
- 叔父 梨羽時起(海軍中将)[11]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 『平成新修旧華族家系大成』下巻、124頁。
- ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』78頁。
- ^ a b c d 『人事興信録 第13版 下』テ11頁。
- ^ 『官報』第8288号、明治44年2月9日。
- ^ 『陸軍士官学校』233頁。
- ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』183頁。
- ^ 『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 明治45年7月1日調』755頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、27頁。
- ^ 『官報』第1788号、大正7年7月18日。
- ^ 『官報』第4299号「叙任及辞令」1941年5月10日。
- ^ a b c d 『平成新修旧華族家系大成 上巻』58頁。
参考文献
[編集]- 陸軍省編『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 明治45年7月1日調』川流堂、1912年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 山崎正男編『陸軍士官学校』秋元書房、1969年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上下巻』霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 寺島秋介 |
男爵 寺島(秋介)家第2代 1911年 - 1942年 |
次代 寺島直太郎 |