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寺島敏三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
寺島敏三
てらしま としぞう
てらじま としぞう
生年月日 1879年12月10日
没年月日 (1942-10-09) 1942年10月9日(62歳没)
出身校 陸軍士官学校卒業
前職 陸軍騎兵大尉
所属政党 公正会
称号 従三位
配偶者 寺島トシ
親族 父・有地品之允(貴族院議員)
養父・寺島秋介(貴族院議員)
叔父・梨羽時起(貴族院議員)
兄・有地藤三郎(貴族院議員)

在任期間 1918年7月10日 - 1932年7月9日
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寺島 敏三(てらしま[1] / てらじま[2] としぞう、1879年明治12年)12月10日[1] - 1942年昭和17年)10月9日[1][2])は、日本の陸軍軍人政治家華族。最終階級は陸軍騎兵大尉貴族院男爵議員。旧姓・有地[1]

経歴

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海軍士官有地品之允の四男として生まれ、男爵寺島秋介の養子となる[1][3]。養父の死去に伴い1911年(明治44年)2月8日、男爵を襲爵した[1][3][4]

陸軍士官学校(14期)に入り[5]1902年(明治35年)11月22日に卒業し[6]1903年(明治36年)6月26日、騎兵少尉に任官[2][7]。以後、近衛騎兵連隊付、野戦近衛師団管理部付、近衛騎兵連隊中隊長などを歴任し、日露戦争に出征した[2][3]1912年、騎兵大尉に昇進し、1914年(大正3年)予備役に編入された[2][3]

1918年(大正7年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[8][9]公正会に所属して活動し1932年(昭和7年)7月9日まで2期在任した[2]

栄典

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親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 『平成新修旧華族家系大成』下巻、124頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』78頁。
  3. ^ a b c d 『人事興信録 第13版 下』テ11頁。
  4. ^ 『官報』第8288号、明治44年2月9日。
  5. ^ 『陸軍士官学校』233頁。
  6. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』183頁。
  7. ^ 『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 明治45年7月1日調』755頁。
  8. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、27頁。
  9. ^ 『官報』第1788号、大正7年7月18日。
  10. ^ 『官報』第4299号「叙任及辞令」1941年5月10日。
  11. ^ a b c d 『平成新修旧華族家系大成 上巻』58頁。

参考文献

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  • 陸軍省編『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 明治45年7月1日調』川流堂、1912年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 山崎正男編『陸軍士官学校』秋元書房、1969年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上下巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
寺島秋介
男爵
寺島(秋介)家第2代
1911年 - 1942年
次代
寺島直太郎