山口圭蔵
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山口 圭蔵 | |
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参謀本部第2局局員時代 | |
生誕 |
1861年11月3日 山城国 |
死没 | 1932年6月15日(70歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1879 - 1907 |
最終階級 | 陸軍少将 |
山口 圭蔵(やまぐち けいぞう、1861年11月3日(文久元年10月1日) – 1932年(昭和7年)6月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将[1]、従四位勲二等功四級[2]。京都府出身[1]。
人物
[編集]文久元年10月1日、京都府士族山口正静の長男として生まれる。1879年(明治12年)陸軍士官学校(旧3期)を卒業し陸軍少尉任官。のち陸軍大学校(1期)を卒業し、1888年から1891年まで東條英教、井口省吾とドイツ留学。帰国後は参謀本部第2局局員や軍医学校教官を経て歩兵第21連隊第2大隊長として日清戦争に参加。1897年(明治30年)陸軍歩兵大佐に昇進。同日付けで陸軍戸山学校 校長 兼 監軍部御用掛となる。以後、第11師団参謀長などを勤め、1902年(明治35年)陸軍少将に進み、第7代歩兵第5旅団長に補された。しかし日露戦争遠征中の1904年(明治37年)7月に南部辰丙が代わって同旅団長代理となり、翌1905年(明治38年)1月14日 に旅団長を正式に免職にされて休職扱いとなる。1907年(明治40年)予備役編入となる。予備役編入に伴って従四位に叙された。
経歴
[編集]- 1879年(明治12年)12月22日 – 陸軍士官学校(旧3期)卒業、任 陸軍少尉[1]
- 1885年(明治18年)12月24日 – 陸軍大学校(1期)卒業[1]
- 1890年(明治23年)12月12日 – 補 参謀本部第2局局員[3]
- 1891年(明治24年)12月26日 – 少佐
- 1893年(明治26年)8月23日 – 兼補 軍医学校教官[4]
- 1894年(明治27年)ごろ – 歩兵第21連隊第2大隊長[5]
- 1897年(明治30年)10月11日 – 任 陸軍歩兵大佐、補 陸軍戸山学校 校長、監軍部御用掛兼勤[6]
- 1898年(明治31年)10月1日 – 補 第11師団参謀長[7]
- 1902年(明治35年)5月5日 – 任 陸軍少将、補 歩兵第5旅団長[1]
- 1905年(明治38年)1月14日 – 歩兵第5旅団長被免[8]、休職[1]
- 1907年(明治40年)3月2日 – 予備役[1]
栄典・授章・授賞
[編集]- 位階
- 1889年(明治22年)7月15日 - 正七位[9]
- 1895年(明治28年)11月15日 - 正六位[10]
- 1897年(明治30年)10月30日 - 従五位[11]
- 1902年(明治35年)9月20日 – 正五位[12]
- 1907年(明治40年)4月20日 – 従四位[13]
- 勲章等
- 1885年(明治18年)12月24日 - 望遠鏡一個[14]
- 1893年(明治26年)5月26日 - 勲六等瑞宝章[15]
- 1902年(明治35年)11月29日 - 勲四等瑞宝章[16]
- 1904年(明治37年)11月29日 - 勲三等瑞宝章[17]
著作
[編集]単著
[編集]- 『小学作文をしへ草』林正躬閲、寺田栄助、1875年12月。 NCID BB17902501。全国書誌番号:40081468 NDLJP:867265。
- 『元明史畧質問録』林正躬閲、五車楼、1875年。全国書誌番号:22664917。
- 『欧洲大戦と日本の将来』東京宝文館、1917年4月。 NCID BN15130661。全国書誌番号:43021408 NDLJP:953142。
編集
[編集]- 『十八史略質問録』 巻之上、林正躬閲、川端藤兵衛等、1875年2月。 NCID BB13176838。全国書誌番号:40014779 NDLJP:775556。
- 『十八史略質問録』 巻之中、林正躬閲、川端藤兵衛等、1875年2月。 NCID BB13176838。全国書誌番号:40014779 NDLJP:775557。
- 『十八史略質問録』 巻之下、林正躬閲、川端藤兵衛等、1875年2月。 NCID BB13176838。全国書誌番号:40014779 NDLJP:775558。
共纂
[編集]- 東條英教・井口省吾・山口圭蔵共纂 編『帥兵規例 参謀演習旅行預教』陸軍大学校〈陸軍大学校読本〉、1887年3月。 NCID BN14846318。
講評
[編集]- 『戦術講究録』 第1集、軍事教育会、1898年11月。 NCID BA30644141。全国書誌番号:40065146 NDLJP:844133。
- 『戦術講究録』 第2集、軍事教育会、1899年10月。全国書誌番号:40065146 NDLJP:844134。
校閲
[編集]- 竹内武『各個教練』軍事教育会、1898年5月。 NCID BA64254272。全国書誌番号:40064648 NDLJP:843471。
- 佐久間金吾『部隊教練』軍事教育会、1900年5月。 NCID BN14861344。全国書誌番号:40065335 NDLJP:844374。
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 『日本陸軍将官総覧』207頁
- ^ 『陸軍予備役後備役将校同相当官服役停年名簿』 (明治45年7月1日調)10コマに記載。
- ^ 『官報』第2242号「叙任及辞令」1890年12月17日。
- ^ 『官報』第3048号「叙任及辞令」1893年8月25日。
- ^ 『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿』 (明治27年7月1日調)36コマに記載。
- ^ 『官報』第4285号「叙任及辞令」1897年10月12日。
- ^ 『官報』第4579号「叙任及辞令」1898年10月3日。
- ^ 『官報』第6464号「叙任及辞令」1905年1月19日。
- ^ 『官報』第1820号「叙任及辞令」1889年7月24日。
- ^ 『官報』第3717号「叙任及辞令」1895年11月16日。
- ^ 『官報』第4302号「叙任及辞令」1897年11月1日。
- ^ 『官報』第5767号「叙任及辞令」1902年9月22日。
- ^ 『官報』第7140号「叙任及辞令」1907年4月22日。
- ^ 『官報』第749号「兵事」1885年12月28日。
- ^ 『官報』第2974号「叙任及辞令」1893年5月31日。
- ^ 『官報』第5824号「叙任及辞令」1902年12月1日。
- ^ 『官報』第6426号「敍任及辞令」1904年11月30日。
- ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻、610頁。
- ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻、770頁。
- ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻、271頁。
参考文献
[編集]- 『官報』
- 『日本陸軍将官総覧』新人物往来社
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
外部リンク
[編集]軍職 | ||
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先代 原口兼済 |
陸軍戸山学校長 第12代:1897年10月11日 - 1898年10月1日 |
次代 依田広太郎 |
先代 浅田信興 |
歩兵第5旅団長 第7代:1902年5月5日 - 1905年1月14日 |
次代 田部正壮 |