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山口圭蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山口 圭蔵
参謀本部第2局局員時代
生誕 1861年11月3日
山城国
死没 (1932-06-15) 1932年6月15日(70歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1879 - 1907
最終階級 陸軍少将
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山口 圭蔵(やまぐち けいぞう、1861年11月3日文久元年10月1日) – 1932年昭和7年)6月15日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍少将[1]従四位勲二等功四級[2]京都府出身[1]

人物

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文久元年10月1日、京都府士族山口正静の長男として生まれる。1879年(明治12年)陸軍士官学校(旧3期)を卒業し陸軍少尉任官。のち陸軍大学校(1期)を卒業し、1888年から1891年まで東條英教井口省吾とドイツ留学。帰国後は参謀本部第2局局員や軍医学校教官を経て歩兵第21連隊第2大隊長として日清戦争に参加。1897年(明治30年)陸軍歩兵大佐に昇進。同日付けで陸軍戸山学校 校長 兼 監軍部御用掛となる。以後、第11師団参謀長などを勤め、1902年(明治35年)陸軍少将に進み、第7代歩兵第5旅団長に補された。しかし日露戦争遠征中の1904年(明治37年)7月に南部辰丙が代わって同旅団長代理となり、翌1905年(明治38年)1月14日 に旅団長を正式に免職にされて休職扱いとなる。1907年(明治40年)予備役編入となる。予備役編入に伴って従四位に叙された。

経歴

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栄典・授章・授賞

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位階
勲章等

著作

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単著

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  • 『小学作文をしへ草』林正躬閲、寺田栄助、1875年12月。 NCID BB17902501全国書誌番号:40081468 NDLJP:867265 
  • 『元明史畧質問録』林正躬閲、五車楼、1875年。全国書誌番号:22664917 
  • 『欧洲大戦と日本の将来』東京宝文館、1917年4月。 NCID BN15130661全国書誌番号:43021408 NDLJP:953142 

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共纂

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講評

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校閲

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親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『日本陸軍将官総覧』207頁
  2. ^ 『陸軍予備役後備役将校同相当官服役停年名簿』 (明治45年7月1日調)10コマに記載。
  3. ^ 『官報』第2242号「叙任及辞令」1890年12月17日。
  4. ^ 『官報』第3048号「叙任及辞令」1893年8月25日。
  5. ^ 『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿』 (明治27年7月1日調)36コマに記載。
  6. ^ 『官報』第4285号「叙任及辞令」1897年10月12日。
  7. ^ 『官報』第4579号「叙任及辞令」1898年10月3日。
  8. ^ 『官報』第6464号「叙任及辞令」1905年1月19日。
  9. ^ 『官報』第1820号「叙任及辞令」1889年7月24日。
  10. ^ 『官報』第3717号「叙任及辞令」1895年11月16日。
  11. ^ 『官報』第4302号「叙任及辞令」1897年11月1日。
  12. ^ 『官報』第5767号「叙任及辞令」1902年9月22日。
  13. ^ 『官報』第7140号「叙任及辞令」1907年4月22日。
  14. ^ 『官報』第749号「兵事」1885年12月28日。
  15. ^ 『官報』第2974号「叙任及辞令」1893年5月31日。
  16. ^ 『官報』第5824号「叙任及辞令」1902年12月1日。
  17. ^ 『官報』第6426号「敍任及辞令」1904年11月30日。
  18. ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻、610頁。
  19. ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻、770頁。
  20. ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻、271頁。

参考文献

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外部リンク

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軍職
先代
原口兼済
陸軍戸山学校長
第12代:1897年10月11日 - 1898年10月1日
次代
依田広太郎
先代
浅田信興
歩兵第5旅団長
第7代:1902年5月5日 - 1905年1月14日
次代
田部正壮