中川広
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中川 広 | |
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生誕 |
1888年(明治21年)1月31日 日本、兵庫県 |
死没 | 1954年(明治29年)10月31日 |
所属組織 | 日本陸軍 |
軍歴 | 1910年(明治45年) - 1941年(昭和16年) |
最終階級 | 陸軍中将 |
中川 広(なかがわ ひろし、1888年(明治21年)1月31日 - 1954年(昭和29年)10月31日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]兵庫県出身。1910年(明治43年)5月、陸軍士官学校(22期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し。1917年(大正6年)11月、陸軍大学校(29期)を卒業した。
1934年(昭和9年)8月、歩兵大佐に昇進し歩兵第70連隊長に就任。1936年(昭和11年)8月、第9師団参謀長に異動。日中戦争に出征し、第二次上海事変、南京攻略戦、徐州会戦に参加。1938年(昭和13年)3月、陸軍少将に進級し歩兵第2旅団長となる。1939年(昭和14年)8月、留守第3師団司令部付に転ずる。
1940年(昭和15年)8月、台湾混成旅団長に就任し中国に出征。同年12月、陸軍中将に進み、台湾混成旅団を改編し新設された第48師団長に親補された。1941年(昭和16年)8月、第48師団は台湾軍隷下となり台湾に帰還。1941年(昭和16年)9月、太平洋戦争の前に予備役編入となった。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]。
栄典
[編集]- 1911年(明治44年)3月10日 - 正八位[2]
- 1914年(大正3年)2月10日 - 従七位[3]
- 1919年(大正8年)3月20日 - 正七位[4]
- 1924年(大正13年)5月15日 - 従六位[5]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。