宮野正年
宮野 正年(みやの まさとし、1898年(明治31年)1月1日[1][2] - 1980年(昭和55年)8月20日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]広島県出身[1][3]。宮野亀四郎の二男として生まれる[1]。名古屋陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1918年(大正7年)5月、陸軍士官学校(30期)を卒業[1][2][3]。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第71連隊付となる[1][3]。1925年(大正14年)11月、陸軍大学校(37期)を卒業した[1][2][3]。
1926年(大正15年)12月、参謀本部付勤務となり、参謀本部員、ソビエト連邦駐在(ソ連隊付)及びドイツ駐在、陸軍歩兵学校研究部員を務め、1933年(昭和8年)3月、歩兵少佐に進級[1]。同年4月、参謀本部員に就任し、1935年(昭和10年)10月から1936年(昭和11年)3月まで欧州に出張した[1]。1937年(昭和12年)1月、教育総監部課員となり、1937年(昭和12年)8月、歩兵中佐に昇進[1]。1938年(昭和13年)7月、教育総監部第2課長に就任[1][3]。1939年(昭和14年)3月、歩兵大佐に進んだ[1][3]。
1941年(昭和16年)2月、支那派遣軍参謀に発令され日中戦争に出征した[1][2][3]。1942年(昭和17年)12月、陸軍予科士官学校付となり、1943年(昭和18年)3月、陸軍少将に進み予科士官学校幹事に就任[1][2][3]。1945年(昭和20年)7月、第15方面軍参謀副長に発令され、大阪で終戦を迎えた[1][2][3]。同年12月、予備役に編入された[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。