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町村金五

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
町村 金五
まちむら きんご
警視総監在任中の町村金五
生年月日 1900年8月16日
出生地 北海道札幌市
没年月日 (1992-12-14) 1992年12月14日(92歳没)
出身校 東京帝国大学(現・東京大学
前職 内務省官僚
官選第33代新潟県知事
官選第28代富山県知事
第53代警視総監
北海タイムス社代表取締役会長
所属政党改進党→)
無所属→)
自由党→)
自由民主党→)
(無所属→)
自由民主党
称号 正三位
勲一等旭日大綬章
配偶者 妻・町村二葉
親族 父・町村金弥
兄・町村敬貴
二男・町村信孝

内閣 第2次田中角榮第1次改造内閣
在任期間 1973年11月25日 - 1974年11月11日

選挙区 全国区
当選回数 2回
在任期間 1971年7月4日 - 1983年7月9日

選挙区 旧北海道1区
当選回数 4回
在任期間 1952年10月2日 - 1959年3月25日

北海道の旗 公選第4-6代 北海道知事
当選回数 3回
在任期間 1959年4月23日 - 1971年4月22日

その他の職歴
第11代 自由民主党参議院議員会長
(総裁:鈴木善幸
1980年 - 1982年
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町村 金五(まちむら きんご、1900年〈明治33年〉8月16日 - 1992年〈平成4年〉12月14日)は、日本内務官僚政治家勲一等正三位

官選新潟県富山県知事警保局長(現在の警察庁長官相当)、警視総監衆議院議員、公選北海道知事参議院議員自治大臣国家公安委員会委員長北海道開発庁長官、自民党参院会長を歴任した。

概要

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1900年(明治33年)生。

内務官僚時代は主に地方畑と警保畑を歩み、官選の新潟県富山県両県の知事を経て、内務省警保局長や警視総監などを歴任した。いわゆる特高官僚として、戦後公職追放

追放解除後、衆議院議員総選挙に立候補して国会議員となる。その後、北海道知事に当選し3期務める。任期満了後は参議院議員に転じ、自治大臣等も務めた。衆議院総選挙に4回、参議院選挙に2回当選した。

1992年(平成4年)死去。享年92。

経歴

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生い立ち

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1900年(明治33年)8月16日、北海道札幌市豊平町に町村金弥・そとの五男として生まれる。父・金弥は、宮部金吾佐藤昌介等と共に札幌農学校で学び、日本の「酪農の草分け」と言われた酪農家である。元貴族院議員・元参議院議員町村敬貴の実弟、元衆議院議員町村信孝の実父、衆議院議員和田義明の義理の祖父(夫人が信孝の娘)。

私立東京開成中学校を経て、第二高等学校甲組英法文科進学。二高では土井晩翠に学ぶ。東京帝国大学進学。1924年(大正13年)3月、東京帝国大学法学部政治学科卒業。高等文官試験受験中に関東大震災に遭う。

内務官僚

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同年5月、内務省入省。任青森県属、知事官房主事兼内務部庶務課勤務。1925年(大正14年)10月、兼任青森県警部、警察部警務課長。1926年(大正15年)10月、任地方警視、静岡県警察部保安課長。

1929年(昭和4年)8月、任地方事務官、静岡県内務部商工課長兼水産課長。1930年(昭和5年)4月、任地方警視、静岡県警察部警務課長。

同年7月、宮内省に出向し、任宮内事務官兼帝室林野局事務官、大臣官房秘書課勤務帝室林野局東京支局監理課長兼整理課長。1931年(昭和6年)5月、任宮内書記官、大臣官房総務課兼秘書課勤務。1932年(昭和7年)7月、任宮内大臣秘書官兼宮内書記官。

1936年(昭和11年)4月、任岐阜県書記官、補警察部長。1937年(昭和12年)2月、任三重県書記官、補警察部長。1938年(昭和13年)1月、任内務省書記官、警保局警務課長。1939年(昭和14年)4月、兼任内務大臣秘書官兼人事課長。人事課長時代に中曽根康弘(第71・72代・73代内閣総理大臣)を採用している。

1941年(昭和16年)1月、官選第33代富山県知事(~1943年)。

1943年(昭和18年)4月、警保局長、補警察講習所長。同年11月、兼任防空総本部警防局長。

1945年(昭和20年)2月、官選第28代新潟県知事(~1945年4月9日)兼任海運局長。

同年4月、任警視総監宮城事件の責任を問われて警視総監を辞任。同年8月、任東京都次長。

1946年(昭和21年)1月、依願免本官。

衆議院議員

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1952年(昭和27年)10月、改進党公認で旧北海道1区から第25回衆議院議員総選挙に立候補し当選。

1954年(昭和29年)、日本民主党(鳩山民主党)の結成に参加せず無所属となる。その後吉田自由党に入党。1955年(昭和30年)、保守合同による自由民主党の結成に参加 自由党出身の緒方竹虎と行動をともにする。1956年(昭和31年)、旧緒方派の流れをくむ石井派に所属。

北海道知事

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1959年(昭和34年)4月、北海道知事選において、新人対決で(52年衆院初当選の同期生で衆院候補としてもライバルだった)日本社会党の新人横路節雄日本教職員組合副委員長を破る( - 1971年4月)。

同年、北海道師友会会長に就任。

参議院議員

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1971年(昭和46年)6月、第9回参議院議員通常選挙に立候補し当選。1972年(昭和47年)5月、北海タイムス社代表取締役会長。

1973年(昭和48年)11月、第2次田中角榮内閣で自治大臣兼国家公安委員会委員長北海道開発庁長官

1980年(昭和55年)7月、自民党参議院議員会長。同年11月、勲一等旭日大綬章受章。

1983年7月9日、参議院議員選挙に立候補せず、引退する。

1992年(平成4年)12月14日、死去、正三位に叙せらる。墓所は文京区吉祥寺

政策

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  • 内務省復活論者であり、「都道府県は自治制を廃止し、公選知事、都道府県議会も廃止して、国の総合出先機関に改める」ことや、「内政に関する国の体制を強化するため内務省を復活させる」ことを提案していた[1][2]
  • ソビエト連邦に代表される社会主義陣営に対する警戒心が強く、日本の防衛力増強を主張した[3]
  • 北海道知事在職中、旧北海道庁舎(赤レンガ庁舎)の解体計画に「国の重要文化財の指定を取り付け、永久保存すべき」だとして反対し、保存運動を主導。「北海道百年」事業の一環として屋上の八角塔やバルコニーの復元などを行って建築当時の姿を復元し、国の重要文化財の指定を実現している[4]

人物

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  • 後に参議院議員となる植木光教は、町村の下で秘書や北海道知事室長を務めた。
  • 歌手の岸洋子の後援会会長を務めた。

家族・親族・系譜

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町村金弥

著作

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選挙歴

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当落 選挙 施行日 選挙区 政党 得票数 得票率 得票順位
/候補者数
比例区 比例順位
/候補者数
第25回衆議院議員総選挙 1952年10月1日 北海道第1区 改進党 42,815 12.9 3/11 - -
第26回衆議院議員総選挙 1953年4月19日 北海道第1区 改進党 37,573 11.0 5/10 - -
第27回衆議院議員総選挙 1955年2月27日 北海道第1区 無所属 50,963 12.9 5/10 - -
第28回衆議院議員総選挙 1958年5月22日 北海道第1区 自由民主党 82,480 22.0 2/7 - -
1959年北海道知事選挙 1959年4月23日 北海道 自由民主党 1,092,456 52.8 1/3 - -
1963年北海道知事選挙 1963年4月17日 北海道 自由民主党 1,393,352 63.5 1/4 - -
1967年北海道知事選挙 1967年4月15日 北海道 自由民主党 1,424,532 61.0 1/3 - -
第9回参議院議員通常選挙 1971年6月27日 全国区 自由民主党 952,130 4/106 - -
第11回参議院議員通常選挙 1977年7月10日 全国区 自由民主党 1,028,981 8/102 - -
当選回数9回 (衆議院議員4・北海道知事3・参議院議員2)

脚注

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  1. ^ 『北海道経済』1980年2月号 北海道経済研究所 p.1-3
  2. ^ じゅん刊『世界と日本』1983年8月15日号 株式会社内外ニュース p.37-39
  3. ^ 『動向』1979年7月号 動向社 p.24-27
  4. ^ 北海タイムス社 『町村金五伝』 町村金五刊行会 1982年 p.261-262

参考文献

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関連項目

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公職
先代
江﨑真澄
日本の旗 自治大臣
第20代:1973年 - 1974年
次代
福田一
先代
江﨑真澄
日本の旗 国家公安委員会委員長
第30代:1973年 - 1974年
次代
福田一
先代
江﨑真澄
日本の旗 北海道開発庁長官
第35代:1973年 - 1974年
次代
福田一
先代
田中敏文
北海道の旗 北海道知事
公選第4・5・6代:1959年 - 1971年
次代
堂垣内尚弘
議会
先代
鍋島直紹
日本の旗 参議院予算委員長
1978年 - 1979年
次代
山内一郎
先代
三田村武夫
日本の旗 衆議院法務委員長
1957年 - 1958年
次代
小島徹三
党職
先代
徳永正利
自由民主党参議院議員会長
第11代:1980年 - 1982年
次代
木村睦男
名誉職
先代
市川房枝
最年長参議院議員
1981年 - 1983年
次代
新谷寅三郎
官職
先代
坂信弥
日本の旗 警視総監
1945年
次代
坂信弥
先代
前田多門
新潟県の旗 新潟県知事
1943年 - 1944年
次代
畠田昌福
先代
三好重夫
日本の旗 内務省警保局
1945年
次代
古井喜実
先代
矢野兼三
富山県の旗 富山県知事
1941年 - 1943年
次代
坂信弥