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寿原正一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

寿原 正一(壽原、すはら しょういち、1911年明治44年)1月1日[1][2] - 1975年昭和50年)12月13日[1][3][4])は、昭和期の実業家政治家衆議院議員

経歴

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北海道[3]古平郡古平町で寿原要太郎の息子として生まれる[1][2][5][注釈 1]。1958年(昭和33年)専修大学会計学本科を卒業した[2][3]

1928年(昭和3年)頃、札幌市に移り海産物商のトラック助手となる[1]。1932年(昭和7年)頃、日の出ハイヤーに運転手として就職[1]。その後上京し、病人輸送専門の東京寝台自動車に務め、戦後に労働組合を結成して委員長に就任し、1948年(昭和23年)常務として経営陣に加わり、1953年(昭和28年)社長となった[1][3]。同年、札幌つばめ自動車会長、1955年(昭和30年)新宿交通社長に就任[1][3]。その他、中央自動車交通社長、札幌大和交通社長、北海道テレビ放送取締役、千歳空港ゴルフ場会長、東京旅客自動車指導委員会委員長、全国乗用自動車協会顧問、日本プロボクシング協会コミッション諮問委員などを務めた[1][2][3]

1960年(昭和35年)11月の第29回衆議院議員総選挙北海道第1区から自由民主党公認で出馬して初選[1][6]。1963年(昭和38年)11月の第30回総選挙でも再選され[1][7]、衆議院議員に連続2期在任した[3]。この間、自民党交通副部会、同党札幌支部連合会顧問などを務め[3]衆議院運輸委員としてタクシー業界のため働き[1]、また、北海道農業・漁業界のためソ連スケソウ輸入規制、てんぷん政府買い入れ価格引き上げ問題などの解決に尽力した[1]

第34回総選挙に出馬を予定して準備中、東京四谷胃腸病院で胆石手術後に病状が悪化して急死した[1][8]。葬儀は1975年12月21日、真宗大谷派札幌別院で行われ、葬儀委員長を町村金五が務めた[9]

国政選挙歴

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人物

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脚注

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注釈

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  1. ^ 小樽の実業家の家系である寿原家の出身。『札幌人名事典』177頁。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『札幌人名事典』177頁。
  2. ^ a b c d 『ペンで書く墓碑銘 1970-1980年代 1』12頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』325頁。
  4. ^ 『ペンで書く墓碑銘 1970-1980年代 1』9頁。
  5. ^ 『ペンで書く墓碑銘 1970-1980年代 1』16頁。
  6. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』5頁。
  7. ^ a b 『国政選挙総覧 1947-2016』6頁。
  8. ^ 『ペンで書く墓碑銘 1970-1980年代 1』10頁。
  9. ^ 『ペンで書く墓碑銘 1970-1980年代 1』17頁。
  10. ^ a b 『国政選挙総覧 1947-2016』7頁。
  11. ^ 『ペンで書く墓碑銘 1970-1980年代 1』14頁。

参考文献

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  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 札幌市教育委員会文化資料室編『札幌人名事典』〈さっぽろ文庫66〉北海道新聞社、1993年。
  • 月刊クォリティ編集部編『ペンで書く墓碑銘 1970-1980年代 1』〈くま文庫19〉太陽、2009年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。

関連項目

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