第31回衆議院議員総選挙
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第31回衆議院議員総選挙 | |||
---|---|---|---|
内閣 | 第1次佐藤内閣 | ||
解散日 | 1966年(昭和41年)12月27日 | ||
解散名 | 黒い霧解散 | ||
公示日 | 1967年(昭和42年)1月8日 | ||
投票日 | 1967年(昭和42年)1月29日 | ||
選挙制度 | 中選挙区制[注釈 1] | ||
改選数 | 486( 19) | ||
議席内訳 | |||
有権者 | 満20歳以上の日本国民 | ||
有権者数 | 6299万2796人 | ||
投票率 | 73.99%(2.85%) | ||
各党別勢力 | |||
党順 | 第1党 | 第2党 | 第3党 |
画像 | |||
党色 | |||
党名 | 自由民主党 | 日本社会党 | 民主社会党 |
党首 | 佐藤栄作 | 佐々木更三 | 西尾末広 |
就任日 | 1964年12月 | 1965年5月 | 1960年1月 |
前回選挙 | 283 | 144 | 23 |
選挙前議席 | 278 | 141 | 23 |
獲得議席 | 277 | 140 | 30 |
増減 | 1 | 1 | 7 |
得票数 | 2244万7838票 | 1282万6104票 | 340万4464票 |
得票率 | 48.80% | 27.88% | 7.40% |
得票率増減 | 5.87% | 1.15% | 0.03% |
党順 | 第4党 | 第5党 | |
画像 | |||
党色 | |||
党名 | 公明党 | 日本共産党 | |
党首 | 辻武寿 | 宮本顕治 | |
就任日 | 1964年12月 | 1958年8月 | |
前回選挙 | 新党 | 5 | |
選挙前議席 | 0 | 4 | |
獲得議席 | 25 | 5 | |
増減 | 25 | 1 | |
得票数 | 247万2371票 | 219万564票 | |
得票率 | 5.38% | 4.76% | |
得票率増減 | 0.75% | ||
選挙状況 | |||
| |||
< 1963年1969年 > | |||
第31回衆議院議員総選挙(だい31かいしゅうぎいんぎいんそうせんきょ)は、1967年(昭和42年)1月29日に日本で行われた国会(衆議院)議員の総選挙である。
概要
[編集]前年より日本政界を揺るがしていた一連の黒い霧事件を受け、政界刷新を求める世論の声の高まりに、内閣総理大臣の佐藤榮作が政権の求心力回復を期し、局面の転換を図るべく衆議院解散に打って出たものである。
与党・自民党は安定多数を維持。公認候補の得票率が初めて5割を割り込み[注釈 2]、定数19増の中で議席を微減させるなど、自民党にとって必ずしも十全な結果ではなかったが、逆風の中では概ね善戦勝利と受け止められた。
社会党の議席もほぼ横ばいだったが、事前の期待には及ばず「敗北声明」を出した。公明党が衆議院に初進出し、早くも25議席を獲得。多党化が進み始めた。
経済企画庁長官の宮澤喜一はこの時非議員であったが、この選挙で初当選し議員として再任された[注釈 3]。
選挙データ
[編集]内閣
[編集]- 選挙時:第1次佐藤内閣 (第3次改造)(第61代)
- 内閣総理大臣:佐藤栄作(第5代自由民主党総裁)
- 与党:自由民主党
- 選挙後:第2次佐藤内閣(第62代)
- 内閣総理大臣:佐藤栄作(第5代自由民主党総裁)
- 与党:自由民主党
解散日
[編集]解散名
[編集]公示日
[編集]投票日
[編集]改選数
[編集]- 486( 19)[注釈 4]
選挙制度
[編集]- 投票方法
-
- 秘密投票、単記投票、1票制
- 選挙権
-
- 満20歳以上の日本国民(戦後生まれの人が初めて投票可能になった)
- 被選挙権
-
- 満25歳以上の日本国民
- 有権者数
-
- 62,992,796(男性:30,244,616 女性:32,748,180)
同日実施の選挙等
[編集]- 国民投票
選挙活動
[編集]党派別立候補者数
[編集]党派 | 計 | 内訳 | 男性 | 女性 | 公示前 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
前 | 元 | 新 | ||||||
自由民主党 | 342 | 268 | 25 | 49 | 337 | 5 | 278 | |
日本社会党 | 209 | 132 | 21 | 56 | 205 | 4 | 141 | |
民主社会党 | 60 | 23 | 11 | 26 | 58 | 2 | 23 | |
日本共産党 | 123 | 4 | 8 | 111 | 122 | 1 | 4 | |
公明党 | 32 | 0 | 0 | 32 | 32 | 0 | 0 | |
諸派 | 16 | 1 | 3 | 12 | 15 | 1 | 1 | |
無所属 | 136 | 1 | 16 | 119 | 133 | 3 | 1 | |
合計 | 918 | 429 | 84 | 405 | 902 | 16 | 448 | |
出典:『朝日選挙大観』 |
選挙結果
[編集]党派別獲得議席
[編集]党派 | 獲得 議席 |
増減 | 得票数 | 得票率 | 公示前 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
自由民主党 | 277 | 1 | 22,447,838 | 48.80% | 278 | ||||||
日本社会党 | 140 | 1 | 12,826,104 | 27.88% | 141 | ||||||
民主社会党 | 30 | 7 | 3,404,464 | 7.40% | 23 | ||||||
公明党 | 25 | 25 | 2,472,371 | 5.38% | 0 | ||||||
日本共産党 | 5 | 1 | 2,190,564 | 4.76% | 4 | ||||||
諸派 | 0 | 1 | 101,244 | 0.22% | 1 | ||||||
無所属 | 9 | 8 | 2,553,989 | 5.55% | 1 | ||||||
欠員 | 0 | 19 | - | - | 19 | ||||||
総計 | 486 | 19 | 45,996,574 | 100.0% | 467 | ||||||
有効投票数(有効率) | - | - | 45,996,574 | 98.69% | - | ||||||
無効票・白票数(無効率) | - | - | 609,466 | 1.31% | - | ||||||
投票者数(投票率) | - | - | 46,606,040 | 73.99% | - | ||||||
棄権者数(棄権率) | - | - | 16,386,756 | 26.01% | - | ||||||
有権者数 | - | - | 62,992,796 | 100.0% | - | ||||||
出典:総務省統計局 |
- 投票率:73.99%(前回比: 2.85%)
- 【男性:74.75%(前回比: 2.39%) 女性:73.28%(前回比: 3.26%)】
党派別当選者内訳
[編集]党派 | 計 | 内訳 | 男性 | 女性 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|
前 | 元 | 新 | |||||
自由民主党 | 277 | 234 | 16 | 27 | 274 | 3 | |
日本社会党 | 140 | 93 | 16 | 31 | 137 | 3 | |
民主社会党 | 30 | 19 | 3 | 8 | 29 | 1 | |
公明党 | 25 | 0 | 0 | 25 | 25 | 0 | |
日本共産党 | 5 | 3 | 1 | 1 | 5 | 0 | |
無所属 | 9 | 0 | 0 | 9 | 9 | 0 | |
合計 | 486 | 349 | 36 | 101 | 479 | 7 | |
出典:『朝日選挙大観』 |
政党
[編集]
|
| |
議員
[編集]当選者
[編集]自民党 社会党 民社党 公明党 共産党 無所属
補欠当選等
[編集]年 | 月日 | 選挙区 | 選出 | 新旧別 | 当選者 | 所属党派 | 欠員 | 所属党派 | 欠員事由 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1967 | 3.27 | 長野4区 | 繰上補充 | 元 | 小沢貞孝 | 民主社会党 | 唐沢俊樹 | 自由民主党 | 1967.3.14死去 |
- | 北海道1区 | (未実施) | 横路節雄 | 日本社会党 | 1967.6.14死去 | ||||
兵庫4区 | (未実施) | 清瀬一郎 | 自由民主党 | 1967.6.27死去 | |||||
群馬2区 | (未実施) | 東海林稔 | 日本社会党 | 1967.10.1死去 | |||||
1968 | 5.12 | 奄美群島区 | 補欠選挙 | 元 | 保岡武久 | 無所属 | 伊東隆治 | 自由民主党 | 1968.3.28死去 |
- | 青森2区 | (未実施) | 島口重次郎 | 日本社会党 | 1968.3.17死去 | ||||
岩手2区 | (未実施) | 小沢佐重喜 | 自由民主党 | 1968.5.8死去 | |||||
長崎2区 | (未実施) | 綱島正興 | 自由民主党 | 1968.5.28死去 | |||||
千葉3区 | (未実施) | 森清 | 自由民主党 | 1968.6.9死去 | |||||
長崎1区 | (未実施) | 馬場元治 | 自由民主党 | 1968.6.23死去 | |||||
福岡3区 | (未実施) | 山崎巌 | 自由民主党 | 1968.6.26死去 | |||||
大阪1区 | (未実施) | 和爾俊二郎 | 自由民主党 | 1968.7.12死去 | |||||
大阪2区 | (未実施) | 川上貫一 | 日本共産党 | 1968.9.12死去 | |||||
1969 | - | 北海道3区 | (未実施) | 佐藤孝行 | 自由民主党 | 1969.1.30辞職[注釈 5] | |||
宮城1区 | (未実施) | 西宮弘 | 日本社会党 | 1969.2.25辞職[注釈 6] | |||||
愛知1区 | (未実施) | 横山利秋 | 日本社会党 | 1969.4.3辞職[注釈 7] | |||||
石川1区 | (未実施) | 坂田英一 | 自由民主党 | 1969.7.22死去 | |||||
神奈川2区 | (未実施) | 小泉純也 | 自由民主党 | 1969.8.10死去 | |||||
富山2区 | (未実施) | 正力松太郎 | 自由民主党 | 1969.10.9死去 | |||||
戦後の補欠選挙 |
初当選
[編集]- 計101名
- ※:参議院議員経験者
- 自由民主党
-
- 27名
- 日本社会党
-
- 31名
- 民主社会党
-
- 8名
- 公明党
-
- 25名
- 日本共産党
-
- 1名
- 無所属
-
- 9名
返り咲き・復帰
[編集]- 計36名
- 自由民主党
-
- 16名
- 日本社会党
-
- 16名
- 民主社会党
-
- 3名
- 日本共産党
-
- 1名
引退・不出馬
[編集]- 計16名
- 自由民主党
-
- 9名
- 日本社会党
-
- 7名
落選
[編集]- 計81名
- 自由民主党
-
- 33名
- 日本社会党
-
- 40名
- 民主社会党
-
- 5名
- 日本共産党
-
- 1名
- 諸派
-
- 1名
- 無所属
-
- 1名
記録的当選・落選者
[編集]- 最年少当選者 :山口敏夫(無所属・埼玉2区) 26歳5か月
- 最高齢当選者 :松村謙三(自民・富山2区) 84歳0か月
- 最多得票当選者 :藤山愛一郎(自民・神奈川1区) 171,667票
- 最少得票当選者 :伊能繁次郎(自民・千葉2区) 31,775票
- 最多得票落選者 :中村高一(社会・東京7区) 96,620票
- 最多当選 :清瀬一郎(自民・兵庫4区)14回、西尾末広(民社・大阪2区)14回
選挙後
[編集]国会
[編集]- 衆議院議長選挙(1967年2月15日 投票者数:464 過半数:233)
- 衆議院副議長選挙(1967年2月15日 投票者数:471 過半数:236)
- 内閣総理大臣指名選挙(1967年2月17日)
- 衆議院議決(投票者数:470 過半数:236)
- 衆議院副議長選挙(1967年12月4日 投票者数:403 過半数:202)
- 小平久雄 (自民党) :228票
- 三宅正一 (社会党) :174票
- 無効 : 1票
- 衆議院議長選挙(1969年7月16日 投票者数:425 過半数:213)
- 衆議院副議長選挙(1969年7月16日 投票者数:433 過半数:217)
政党
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年
- 上條末夫 (1990年3月). “衆議院総選挙における女性候補者” (PDF). 駒沢大学法学部研究紀要. 2020年2月閲覧。
- 石川真澄・山口二郎著『戦後政治史』岩波新書、2010年
- 神田広樹 (2014年6月). “戦後主要政党の変遷と国会内勢力の推移” (PDF). 国立国会図書館. 2019年10月閲覧。
- 佐藤令 (2005年12月). “戦後の補欠選挙” (PDF). 国立国会図書館. 2016年5月26日閲覧。
- 衆議院議員総選挙一覽. 第31回 - 国立国会図書館デジタルコレクション
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 佐藤内閣 初の総選挙へ - NHK放送史
- 衆院選で民社・公明が伸び多党化へ - NHK放送史
- 衆議院議員総選挙の定数,立候補者数,選挙当日有権者数,投票者数及び投票率(明治23年~平成17年) - 総務省統計局アーカイブ
- 衆議院議員総選挙の党派別当選者数及び得票数(昭和33年~平成5年) - 総務省統計局アーカイブ