阪上安太郎
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阪上安太郎 | |
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生年月日 | 1912年1月9日 |
出生地 | 大阪府 |
没年月日 | 1984年2月27日(72歳没) |
出身校 | 早稲田大学政治経済学部経済学科 |
前職 | 水球選手 |
所属政党 | 日本社会党 |
選挙区 | 大阪3区 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 | 1958年5月 - 1976年 |
高槻市長 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1950年3月21日 - 1958年3月20日 |
阪上 安太郎(さかがみ やすたろう 1912年(明治45年)1月9日[1] - 1984年(昭和59年)2月27日[1])は、日本の水球選手、政治家。衆議院議員を6期務め、衆議院功労議員として表彰された。
1932年ロサンゼルスオリンピック、1936年ベルリンオリンピックに出場した。
経歴
[編集]- 1912年 - 大阪府茨木町(現 茨木市)で生まれる[2]。
- 1932年 - ロサンゼルスオリンピック水球に出場する(4位)[3]。
- 1936年 - ベルリンオリンピック水球に出場する(予選敗退)[4]。同年 早稲田大学政治経済学部を卒業。
- 1950年 - 3月 第4代高槻市長に就任[5]。
- 1958年 - 3月 高槻市長を辞職。
- 1958年 - 5月 第28回衆議院議員総選挙に日本社会党所属で大阪3区に立候補し当選した。
- 1960年 - 第29回衆議院議員総選挙で当選。
- 1963年 - 第30回衆議院議員総選挙で当選。
- 1967年 - 第31回衆議院議員総選挙で当選。内閣地方制度調査会委員となる。
- 1969年 - 第32回衆議院議員総選挙で当選。
- 1972年 - 第33回衆議院議員総選挙で当選。
- 1973年 - 衆議院災害対策特別委員長となる[6]。
- 1976年 - 第34回衆議院議員総選挙に立候補せず政界引退。
- 1984年 - 72歳で死亡。
役員
[編集]- ユニバーシアード東京大会組織委員会顧問
- 札幌オリンピック組織委員会顧問
- 内閣地方制度調査委員
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』衆議院 1990年
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 阪上安太郎 - Olympedia
議会 | ||
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先代 大原亨 |
衆議院災害対策特別委員長 | 次代 金丸徳重 |
議会 | ||
先代 古田誠一郎 |
大阪府 高槻市長 1950年 - 1958年 |
次代 鈴木定次郎 |
・) [2]新訂 政治家人名事典 明治~昭和