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大石千八

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大石 千八
おおいし せんぱち
生年月日 (1935-11-21) 1935年11月21日
出生地 日本の旗 静岡県榛原郡吉田町
没年月日 (2011-09-26) 2011年9月26日(75歳没)
死没地 日本の旗 静岡県島田市
出身校 早稲田大学商学部
前職 NHKアナウンサー
所属政党自由民主党→)
(無所属→)
自由民主党
称号 従三位
旭日大綬章
子女 息子・大石秀政(元衆議院議員)
親族 父・大石八治(元衆議院議員)

日本の旗 第51代 郵政大臣
内閣 第1次海部内閣
在任期間 1989年8月10日 - 1990年2月28日

選挙区 旧静岡1区
当選回数 8回
在任期間 1972年12月10日 - 1996年9月27日
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大石 千八(おおいし せんぱち、1935年昭和10年)11月21日[1] - 2011年平成23年)9月26日[2])は、日本の政治家自由民主党所属の衆議院議員(中曽根派)。静岡県吉田町出身。

経歴

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1954年(昭和29年)静岡県立榛原高等学校卒業。1960年(昭和35年)早稲田大学第一商学部卒業[1][3]NHKアナウンサーとして入局。徳島放送局名古屋放送局福岡放送局でスポーツ担当で12年間勤務した[1][3]

1972年(昭和47年)父八治の政界引退を受けて、その地盤を継承し、第33回衆議院議員総選挙旧静岡1区から初当選[1][4]。以後、1993年(平成5年)の第40回総選挙まで連続して再選され、衆議院議員に連続8期在任した[1][5]1979年四十日抗争時の首班指名で、所属する中曽根派の大半が反主流派の福田赳夫に投票する中で大平正芳総裁に投票する。

1981年(昭和56年)衆議院社会労働委員会理事。1986年(昭和61年)衆議院農林水産委員長。同年12月、衆議院災害対策特別委員会災害対策の基本問題に関する小委員会委員。1989年(平成元年)第1次海部内閣郵政大臣に就任[1]1993年宮澤内閣不信任案に賛成。離党せず無所属で出馬し、当選。1996年(平成8年)第41回衆議院議員総選挙に出馬せず引退[1]。子の大石秀政比例東海ブロックの自民党名簿で出馬し当選[6]

2011年9月26日、肝臓がんのため静岡県島田市の病院で死去。75歳没[2]。同日付で、従三位に叙される[7]

国政選挙歴

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栄典

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家族

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その他

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  • 高島易断総本部神聖館を訪れたことがある。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』
  2. ^ a b 時事ドットコム:大石千八氏死去(元郵政相、元自民党衆院議員)
  3. ^ a b 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』121頁。
  4. ^ a b c 『国政選挙総覧:1947-2016』210頁。
  5. ^ 『国政選挙総覧:1947-2016』210-212頁。
  6. ^ 『国政選挙総覧:1947-2016』235頁。
  7. ^ 2011年(平成23年)10月25日付『官報』本紙。
  8. ^ a b c d 『国政選挙総覧:1947-2016』211頁。
  9. ^ a b 『国政選挙総覧:1947-2016』212頁。
  10. ^ 平成18年春の叙勲 旭日大綬章受章者” (PDF). 内閣府. p. 1 (2006年4月29日). 2006年6月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月18日閲覧。

参考文献

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  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  • 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。


議会
先代
今井勇
日本の旗 衆議院農林水産委員長
1986年
次代
玉沢徳一郎
先代
田村良平
日本の旗 衆議院地方行政委員長
1983年 - 1984年
次代
高鳥修
先代
唐沢俊二郎
日本の旗 衆議院災害対策特別委員長 次代
稲垣実男
公職
先代
村岡兼造
日本の旗 郵政大臣
第51代:1989年 - 1990年
次代
深谷隆司