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小山省二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小山省二
こやま しょうじ
生年月日 1906年8月18日
出生地 日本の旗 日本 東京府
(現東京都)
没年月日 (1989-04-06) 1989年4月6日(82歳没)
出身校 東京府立繊染学校卒業
(現東京都立八王子桑志高等学校)
前職 織物業
所属政党 自由民主党
称号 勲二等旭日重光章
藍綬褒章

選挙区 旧東京7区
当選回数 4回
在任期間 1963年11月21日 - 1976年12月9日

在任期間 1963年6月 - 1963年10月

選挙区 八王子市選挙区
当選回数 5回
在任期間 1947年4月30日 - 1963年10月31日
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小山 省二(こやま しょうじ、男性、1906年(明治39年)8月18日 - 1989年(平成元年)4月6日)は、東京府(現・東京都)出身の政治家、実業家。元衆議院議員(4期)。

経歴

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現在の町田市小山町に生まれる[1]1924年(大正13年)東京府立繊染学校(現・東京都立八王子桑志高等学校)を卒業後、八王子市内にて織物業を営む。戦前より地元の繊維業界団体において積極的に活動し、1940年(昭和15年)に八王子内地織物工業組合が時局対策委員会を組織した際には、資材獲得調整を担当する部門の常務委員を務めていた[2]。戦後は1949年(昭和24年)から1955年(昭和30年)まで八王子織物工業協同組合の第9代理事長を務めた。1968年(昭和43年)藍綬褒章受章。

戦後より政治活動に進出し、1947年(昭和22年)に東京都議会議員選挙に八王子選挙区から立候補[3]し当選、以後5期連続当選[3]を重ね、1963年(昭和38年)には都議会議長に就任する[4]。同年の第30回衆議院議員総選挙において、旧東京7区にて自由民主党から立候補し当選。以後4期連続当選を果たす。衆議院議員在職中は、第2次佐藤第2次改造内閣にて労働政務次官第3次佐藤改造内閣にて自治政務次官を務めたほか、1975年(昭和50年)には衆議院地方行政委員会委員長に就任[5]。派閥は佐藤栄作派田中角栄派に所属。

1976年(昭和51年)の第34回衆議院議員総選挙においては、新たに分区された旧東京11区より立候補するも落選。政界を引退する。1977年(昭和52年)勲二等旭日重光章受章。

1989年4月6日、脳溢血のため逝去[6]。享年82。

脚注

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  1. ^ 東京都中小企業団体中央会ウェブサイト「多摩織」八王子市織物工業組合紹介ページ
  2. ^ 八王子市市史編集委員会『新八王子市史 通史編6 近現代(下)』(八王子市、2017年)pp.400
  3. ^ a b 歴代議長 | 東京都議会”. www.gikai.metro.tokyo.jp. 2021年5月8日閲覧。
  4. ^ 歴代議長・副議長 | 東京都議会”. www.gikai.metro.tokyo.jp. 2021年5月8日閲覧。
  5. ^ 衆議院議員在職中の就任ポストに関する記述は宮川隆義編『議会開設百周年記念 コンピュータ編集版 歴代国会議員経歴要覧』(政治広報センター、1990年)pp.590-591の記載に基づく
  6. ^ 『現代物故者事典 1988~1990』(日外アソシエーツ、1993年)pp.273
議会
先代
大西正男
日本の旗 衆議院地方行政委員長
1975年 - 1976年
次代
地崎宇三郎