コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

高橋一郎 (衆議院議員)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高橋 一郎
たかはし いちろう
国土交通副大臣在任時の肖像写真
生年月日 1926年3月6日
出生地 日本の旗 日本 東京都中野区
没年月日 (2015-09-25) 2015年9月25日(89歳没)
出身校 東京工業専門学校中退
(現千葉大学工学部
所属政党自由民主党→)
新生党→)
自由民主党
称号 従三位
子女 長男・高橋一実
親族 曽祖父・高橋平兵衛(中野町長)
祖父・高橋信汎(東京府会議員)
父・高橋信一(中野区議会議長)

選挙区旧東京4区→)
比例東京ブロック
当選回数 5回
在任期間 1986年7月6日 - 2003年10月10日

在任期間 1979年10月 - 1981年7月

選挙区 中野区選挙区
当選回数 5回
在任期間 1965年7月23日 - 1983年12月2日

テンプレートを表示

高橋 一郎(たかはし いちろう、1926年3月6日 - 2015年9月25日)は、日本の政治家。衆議院議員として活動した。東京都中野区出身。東京工業専門学校千葉大学工学部)中退。自由民主党員である。

来歴・人物

[編集]

曾祖父の高橋平兵衛は豊多摩郡中野村長・町長、祖父の高橋信汎は豊多摩郡長や東京府会議員、父の高橋信一は中野区会議員や区議会議長を務めるという地方政治家の家系の四代目。

塔山小学校から東京府立第九中学校(現在の東京都立北園高等学校)へ進み、東京工業専門学校(現在の千葉大学工学部)に学ぶも中退。1946年、中野中学校(現在の明治大学付属中野中学校・高等学校)で監事の傍ら英語講師となる。まもなくGHQ技術本部の建築検査官に転じ、その後いくつかの建築会社の経営に参画する[1]

1959年、中野区議会議員に初当選。

1965年東京都議会議員に初当選[2]

1979年、東京都議会議長に就任[3]

1986年、旧東京4区から衆議院議員に初当選(当選同期に鳩山由紀夫斉藤斗志二三原朝雄村井仁逢沢一郎金子一義武村正義杉浦正健園田博之中山成彬新井将敬石破茂笹川堯武部勤井出正一村上誠一郎など)。以降、連続当選5回。

1990年経済企画政務次官に就任。

1993年自民党を離党し、新生党に参加。この年、衆議院逓信委員長に就任。

1996年、自民党に復党し、総選挙では比例代表東京ブロック3位で当選。

2000年建設省総括政務次官に就任。2001年国土交通副大臣に就任。

2003年、自民党比例区の定年制に基づき、政界引退。

ほかに、衆議院政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会委員長、青少年問題に関する特別委員会理事、自由民主党国民運動本部推進部長、自由民主党全国組織委員会証券金融局長、全国都道府県議会議長会会長などの要職を歴任。

また、大の好角家としても知られた。

2015年9月25日、心不全のため死去[4]。89歳没。叙従三位[5]

五代目にあたる長男の高橋一実(かずちか)は、2005年2009年の東京都議会議員選挙に自民党公認で出馬したが2回とも落選している。その後、2011年中野区議会議員選挙に自民党公認で出馬し当選している。

脚注

[編集]
  1. ^ 『中野政界 スター見参 (6)』中野新報、昭和34年(1959年)2月25日
  2. ^ 歴代議長 | 東京都議会”. www.gikai.metro.tokyo.jp. 2021年4月27日閲覧。
  3. ^ 歴代議長・副議長 | 東京都議会”. www.gikai.metro.tokyo.jp. 2021年4月27日閲覧。
  4. ^ 高橋一郎・元自民党衆院議員死去 時事通信 2015年9月28日閲覧
  5. ^ 平成27年10月29日官報


議会
先代
赤城徳彦
日本の旗 衆議院政治倫理の確立及び
公職選挙法改正に関する特別委員長

2002年 - 2003年
次代
増田敏男
先代
二田孝治
日本の旗 衆議院文教委員長
1997年 - 1998年
次代
小川元
先代
亀井久興
日本の旗 衆議院逓信委員長
1993年 - 1995年
次代
自見庄三郎
公職
先代
(創設)
日本の旗 国土交通副大臣
泉信也と共同

2001年
次代
佐藤静雄
泉信也
先代
河野一郎
東京都議会議長
第27代:1979年 - 1981年
次代
菅沼元治
先代
福田政雄
全国都道府県議会議長会会長
第30代:1980年 - 1981年
次代
大山廣司