コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

岡崎英城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岡崎英城
(おかざき えいじょう)
生年月日 1901年明治34年)1月10日
出生地 三重県
没年月日 1989年平成元年)2月18日
出身校 東京帝国大学(現・東京大学
前職 内務官僚
所属政党自由党→)
日本民主党→)
自由民主党
称号 従三位
勲一等瑞宝章(現・瑞宝大綬章

選挙区 東京4区
当選回数 6回
在任期間 1955年昭和30年) - 1972年(昭和47年)
テンプレートを表示

岡崎 英城(おかざき えいじょう、1901年明治34年〉1月10日 - 1989年平成元年〉2月18日)は、日本内務官僚政治家

人物

[編集]

東京帝国大学経済学部卒業後、内務省に入省。警察畑を歩み公職追放後の1955年(昭和30年)衆議院議員東京4区から初当選(連続当選6回)。岸内閣内閣官房副長官労働行政管理通産の各政務次官、自民党東京都連幹事長などを歴任したが、入閣はできず1972年の衆院選で落選し政界を引退した。墓所は多磨霊園

来歴

[編集]

1901年明治34年)1月10日、三重県津市出身。

水戸高校を卒業し、1928年昭和3年)に東京帝国大学経済学部経済学科卒業・高等文官試験行政科に合格する。

1929年(昭和4年)、内務省警視庁に入庁。1935年(昭和10年)に特別警備隊長となる。1940年(昭和15年)、特別高等警察特高二課長となる。1944年(昭和19年)に特別高等警察部長となる。1945年(昭和20年)内務省警備局保安課長を務める。

1946年(昭和21年)、戦後、公職追放となる(1952年(昭和27年)まで)。

1953年(昭和28年)に第26回衆議院議員総選挙東京4区落選(自由党吉田派)。

1955年(昭和30年)、第27回衆議院議員総選挙初当選(日本民主党)。1957年(昭和32年)、第1次岸改造内閣内閣官房副長官(事務)となる。

1958年(昭和33年)に第28回衆議院議員総選挙当選(自由民主党)。1960年(昭和35年)の7月には第1次池田内閣労働政務次官となり、同年11月に第29回衆議院議員総選挙で当選する。1961年(昭和36年)、第2次池田第1次改造内閣行政管理政務次官として務める。

1963年(昭和38年)に第30回衆議院議員総選挙当選。1964年(昭和39年)の7月に第3次池田改造内閣通商産業政務次官となる。同年11月、第1次佐藤内閣で通商産業政務次官として務める。

1967年(昭和42年)、第31回衆議院議員総選挙当選。2年後の1969年(昭和44年)に第32回衆議院議員総選挙当選。

1971年(昭和46年)、勲一等瑞宝章受章。

1972年(昭和47年)、第33回衆議院議員総選挙次点。落選を機に引退する。

1989年平成元年)2月16日に死去。88歳没。

家族

[編集]

元秘書

[編集]

栄典

[編集]

位階

[編集]

勲章等

[編集]

参考文献

[編集]
  • 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』衆議院、1990年11月。
議会
先代
中馬辰猪
日本の旗 衆議院地方行政委員長
1966年
次代
亀山孝一
先代
吉田重延
日本の旗 衆議院公職選挙法改正に関する調査特別委員長 次代
永田亮一
官職
先代
田中栄一
日本の旗 内閣官房副長官(事務担当) 次代
鈴木俊一