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藤本孝雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤本 孝雄
ふじもと たかお
内閣広報室より公表された肖像
1996年 撮影)
生年月日 (1931-01-17) 1931年1月17日(93歳)
出生地 日本の旗 日本 香川県高松市
出身校 東京大学法学部卒業
前職 日本電信電話公社職員
所属政党 自由民主党河本派
称号 勲一等旭日大綬章
法学士(東京大学・1954年
親族 父・藤本捨助(元衆議院議員)

内閣 第2次橋本内閣
在任期間 1996年11月7日 - 1997年9月11日

日本の旗 内閣官房副長官(政務担当)
内閣 第1次海部内閣
在任期間 1989年8月25日 - 1990年2月28日

内閣 竹下内閣
在任期間 1987年11月6日 - 1988年12月27日

内閣 第2次中曽根第1次改造内閣
在任期間 1985年8月14日 - 1985年12月28日

選挙区旧香川1区→)
香川1区
当選回数 10回
在任期間 1963年11月22日 - 1979年9月7日
1980年6月23日 - 1990年1月24日
1993年7月19日 - 2000年6月2日
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藤本 孝雄(ふじもと たかお、1931年昭和6年〉1月17日 - )は、日本政治家衆議院議員(10期)、沖縄開発庁長官厚生大臣内閣官房副長官農林水産大臣などを歴任した。

来歴・人物

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香川県高松市出身。香川県立高松高等学校東京大学法学部卒業。証券会社、日本電信電話公社勤務を経て[1]1963年衆院選に初当選。(当選同期に小渕恵三橋本龍太郎小宮山重四郎伊東正義田中六助渡辺美智雄藤尾正行佐藤孝行中川一郎三原朝雄鯨岡兵輔西岡武夫奥野誠亮など)。通算当選10回。自民党内では三木→河本派に属し沖縄開発庁長官厚生大臣内閣官房副長官農林水産大臣などを歴任。農水大臣時代は、諫早干潟事業続行決定に対して環境破壊との批判があった。2000年第42回衆議院議員総選挙では香川1区から出馬したが無所属の平井卓也に敗れ落選[注 1]2003年第43回衆議院議員総選挙では比例四国ブロックから比例名簿下位で出馬したものの落選し引退。引退後はは特定非営利活動法人歯科医療情報推進機構理事長などを歴任。

略歴

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1954年3月に東京大学法学部卒業。

1963年11月に衆議院議員に初当選する。以後当選10回。

1970年1月、科学技術政務次官第3次佐藤内閣)として務める。1973年11月、環境政務次官(第2次田中内閣)となる。

1985年8月、沖縄開発庁長官(第2次中曽根内閣)となる。1987年11月、厚生大臣竹下内閣)として務める。1989年8月、自民党幹事長代理内閣官房副長官第1次海部内閣)として務める。

1996年11月、農林水産大臣第2次橋本内閣)となる。

家族

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著書

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  • 『藤本孝雄の大臣報告』 プラネット出版 1989年6月 ISBN 4881913042

脚注

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  1. ^ 『政界春秋』1985年10月

関連項目

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注釈

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  1. ^ 選挙後、平井が自民党香川1区支部長に就任。
議会
先代
鯨岡兵輔
日本の旗 衆議院外務委員長
1976年
次代
竹内黎一
公職
先代
河本敏夫
日本の旗 沖縄開発庁長官
第16代:1985年
次代
古賀雷四郎
先代
斎藤十朗
日本の旗 厚生大臣
第67代:1987年 - 1988年
次代
小泉純一郎
先代
大原一三
日本の旗 農林水産大臣
 第24代:1996年 - 1997年
次代
 越智伊平
先代
志賀節
日本の旗 内閣官房副長官(政務担当)
1989年 - 1990年
次代
大島理森