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木村俊夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
木村 俊夫
きむら としお
木村俊夫(1971年)
生年月日 1909年1月15日
出生地 日本の旗 日本 三重県東員町
没年月日 (1983-12-01) 1983年12月1日(74歳没)
死没地 日本の旗 日本 東京都
出身校 東京帝国大学(現・東京大学
前職 逓信運輸官僚
所属政党 (無所属→)
自由党→)
自由民主党
称号 勲一等旭日大綬章
親族 祖父・木村誓太郎
父・木村秀興

日本の旗 第97代 外務大臣
内閣 第2次田中第1次改造内閣
第2次田中第2次改造内閣
在任期間 1974年7月16日 - 1974年12月9日

内閣 第3次佐藤内閣
在任期間 1971年7月5日 - 1972年7月7日

内閣 第2次佐藤内閣
第2次佐藤第1次改造内閣
在任期間 1967年6月22日 - 1968年11月30日

選挙区 旧三重1区
当選回数 12回
在任期間 1949年1月23日 - 1952年8月28日
1953年4月19日 - 1983年11月28日
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木村 俊夫(きむら としお、1909年(明治42年)1月15日 - 1983年(昭和58年)12月1日[1])は、日本政治家。元衆議院議員

来歴・人物

[編集]

1909年(明治42年)三重県東員町生まれ。後に東員町名誉町民となる。祖父・木村誓太郎、父・木村秀興はいずれも衆議院議員第三高等学校 (旧制)文科丙類[2]を経て、1938年(昭和13年)東京帝国大学法学部法律学科政治学科を卒業[3]高等文官試験に合格して逓信省に入省。戦時下、逓信省と鉄道省が統合した運輸通信省を経て、運輸省に移る。戦後佐藤栄作に口説かれ、運輸省海運総局総務課長から政界に転身、1949年(昭和24年)の第24回衆議院議員総選挙旧三重1区から保守系無所属で当選[4]吉田茂が率いる自由党に所属する。当選12回。

当初目立たない存在であったが、佐藤栄作政権発足後の1966年(昭和41年)から1971年(昭和46年)にかけて、官邸(内閣官房)における主要人物の一人として、一躍注目されるようになった。1966年(昭和41年)に内閣官房副長官に就任。1967年(昭和42年)、病気のため退任した福永健司の後を継いで内閣官房長官に登用されるも、翌年の1968年(昭和43年)に佐藤の要請を受け、保利茂に官房長官を譲り、木村は再び副長官に戻った[5]。この間、沖縄返還最大の課題であった「核抜き本土並み返還」の実現に尽力した。

その後1971年(昭和46年)に経済企画庁長官に就任。その間、外務大臣を務めていた福田赳夫胆石手術で入院した際には外務大臣臨時代理を務めた。

1972年(昭和47年)の佐藤首相退陣による自由民主党総裁選挙に伴う佐藤派分裂に際しては佐藤の意を体して福田赳夫を支持するも、1974年(昭和49年)に第2次田中角榮内閣において外務大臣に起用された。現職外相として初めてナイジェリアなどサハラ砂漠以南のアフリカ4ヶ国を訪問した。

その後は「最後の佐藤派」として無派閥で通した。また1977年(昭和52年)自由民主党アジア・アフリカ問題研究会(AA研)の代表世話人に就任。党内ハト派の代表的存在として重きをなした。1983年(昭和58年)、勲一等旭日大綬章を受章。同年の総選挙には出馬せず引退したが、直後の12月1日に心不全のため死去。享年74歳。

栄典

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脚注

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  1. ^ 木村俊夫』 - コトバンク
  2. ^ 「旧制高等学校物語 第3」財界評論社 1965年
  3. ^ 「日本政治史に残る三重県選出国会議員」の190ページの記述。(著者)廣新二。出版年は1985年(昭和60年)三重県選出自由民主党議員の「木村俊夫」の項目
  4. ^ この選挙での当選同期に、池田勇人前尾繁三郎橋本龍伍麻生太賀吉小渕光平西村英一橋本登美三郎塚原俊郎藤枝泉介福田篤泰稲葉修河本敏夫森山欽司床次徳二有田喜一など
  5. ^ 政務担当の内閣官房副長官は、国務大臣経験者でも起用される例が少なくないが、内閣官房長官経験者の副長官就任は木村と2011年の仙谷由人のみである。


議会
先代
藤井勝志
日本の旗 衆議院外務委員長
1973年 - 1974年
次代
有田喜一
先代
簡牛凡夫
日本の旗 衆議院運輸委員長
1962年 - 1963年
次代
川野芳満
公職
先代
大平正芳
日本の旗 外務大臣
第97代:1974年
次代
宮澤喜一
先代
佐藤一郎
日本の旗 経済企画庁長官
第21代:1971年 - 1972年
次代
有田喜一
先代
亀岡高夫
竹下登
日本の旗 内閣官房副長官 (政務担当)
1968年 - 1971年
1966年 - 1967年
次代
三原朝雄
亀岡高夫
先代
福永健司
日本の旗 内閣官房長官
第32代:1967年 - 1968年
次代
保利茂