関内正一
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関内 正一(關内、せきうち しょういち、1897年(明治30年)3月4日[1] - 1962年(昭和37年)4月26日[1][2][3])は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・新妻。
経歴
[編集]福島県岩城郡大浦村上仁井田[1](四倉町を経て現いわき市)で素封家・新妻伊之助の長男[4]として生まれ、岩城郡平町(平市を経て現いわき市平)の老舗・関内家の養子となる[1][4]。福島県立磐城中学校(現福島県立磐城高等学校)を経て早稲田大学商科で学んだ[1][2][3][注 1]。
28歳で平町会議員に就任[1]。同議長、福島県会議員、平市会議員、同議長を務めた[1][2][3]。1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙で福島県第3区から自由党公認で出馬して当選[2][3]。第24回総選挙で再選され[2][5]、1952年(昭和27年)10月の第25回総選挙では次点で落選[6]。1953年(昭和28年)4月、第26回総選挙で再選され[2][6]、1955年(昭和30年)2月、第27回総選挙では次点で落選し[7]、衆議院議員に通算3期在任した[1][2][3]。この間、衆議院電気通信委員長、同運輸委員長、日本自由党福島県連合会支部長、民主自由党総務などを務めた[2][3]。
実業界では、福島県石油販売取締役、平製氷取締役、平信用組合理事、関内商店社長などを務めた[2][4]。また平消防組頭に20数年在任し、平警防団長、日本消防協会理事も務め、市民から「団長さん」と称された[1][4]。
伝記
[編集]- 野沢武蔵『とうふの味 : 関内正一先生しのぶ「思い出集」』関内正一先生顕彰会、1965年。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』福島17頁では卒業。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。
- 『福島県史 第22巻 (各論編 8 人物)』福島県、1972年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
議会 | ||
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先代 辻寛一 |
衆議院電気通信委員長 | 次代 田中重弥 |
先代 逢沢寛 |
衆議院運輸委員長 | 次代 竹谷源太郎 |