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佐々木盛雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐々木 盛雄[1]
生年月日 1908年8月23日[1]
出生地 日本の旗 日本 兵庫県[1]
没年月日 (2001-08-25) 2001年8月25日(93歳没)[1]
出身校 東京外国語大学[1]
所属政党 日本自由党[1]
民主自由党
自由民主党

内閣 第1次池田内閣[1]
在任期間 1960年7月 - 1960年12月

内閣 第5次吉田内閣

日本の旗 衆議院厚生委員長[1]

日本の旗 衆議院外務委員長[1]

選挙区 兵庫県第5区
当選回数 4回
在任期間 1947年 -
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佐々木 盛雄(ささき もりお、1908年明治41年)8月23日 - 2001年平成13年)8月25日[2])は、日本の新聞記者編集者政治家衆議院議員内閣官房副長官

経歴

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兵庫県出身[2]1932年東京外国語学校を卒業。報知新聞社に入社し、外信部記者、政治部記者、海外特派員を務めた[2]。戦時中は大本営海軍報道部嘱託、情報局嘱託となる[3]

終戦後、『自由新聞』を創刊し編集局長となる。その後、報知新聞社渉外部長に就任[3]1947年4月、第23回衆議院議員総選挙兵庫県第5区日本自由党から出馬し当選。以後、第24回第26回第28回総選挙で当選し、衆議院議員を通算4期務めた。この間、衆議院厚生委員長、第5次吉田内閣労働政務次官1960年7月から同年12月まで第1次池田内閣内閣官房副長官[4]、日本自由党情報部副部長、民主自由党政調会外務委員長、自由民主党総務、同国会対策副委員長などを歴任[3]

その他、サンフランシスコ講和会議に衆議院外務委員として、またワシントンD.C.で行われた新安保条約の調印式に議員団員として出席した[3]

著作

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  • 『国会デモ規制論』国民道徳協会 1968年
  • 『断絶の日本』日本教文社 1969年
  • 『甦える教育勅語 : 親と子の教養読本』国民道徳協会 1972年
  • 『狂乱日本の終焉 : 憂国警世の書』国民道徳協会 1974年
  • 『「教育勅語」の解説』国民道徳協会 1979年
  • 『教育勅語 : 日本人のこころの源泉』みづほ書房 1986年
  • 『日本のこころ : 次代を担う青少年へ』みづほ書房 1988年
  • 修身の話 : 寺子屋で用いた教科書が語る』みづほ書房 1998年

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 佐々木 盛雄 ササキ モリオ”. 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』. 日外アソシエーツ (2003年). 2018年1月17日閲覧。
  2. ^ a b c 『現代物故者事典 2000~2002』281頁。
  3. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』270頁。
  4. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』467頁。

参考文献

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公職
先代
小笠公韶
日本の旗 内閣官房副長官
1960年
次代
細谷喜一
議会
先代
山崎岩男
日本の旗 衆議院厚生委員長
1948年
次代
堀川恭平