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福島 慎太郎(ふくしま しんたろう、1907年1月15日 - 1987年4月2日)は、日本の外交官、内閣官房次長、調達庁長官。
東京都出身。礫川小学校、旧制府立五中、旧制一高を経て、東京帝国大学法学部卒。1930年に外務省入りし、英語研修(米国)、フィリピン在勤などを経て1947年から内閣総理大臣秘書官、同年終戦連絡大阪事務局長、1948年の大阪連絡大阪事務局長。同年芦田内閣では内閣官房次長(現在の内閣官房副長官)に就任[1]。
1949年9月に毎日オリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)の球団社長となり、1951年からはパシフィック・リーグ会長も兼ねて日本プロフェッショナル野球協約制定の中心役となった[1]。
1953年7月から1955年12月まで調達庁(後の防衛施設庁)長官、国際連合総会政府代表、1956年にジャパンタイムズ社長、1966年に共同通信社社長を歴任し、1981年にパ・リーグ会長代行として球界復帰[1]。1983年にジャパン・タイムズを小笠原敏晶を譲り渡した[2]。
1983年からパ・リーグ会長になるが1987年4月2日に在任のまま80歳で死去[1]。
2000年に野球殿堂入り。
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競技者表彰 |
1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 |
- 90 真田重蔵, 張本勲
- 91 牧野茂, 筒井修, 島岡吉郎
- 92 廣岡達朗, 坪内道則, 吉田義男
- 93 稲尾和久, 村山実
- 94 王貞治, 与那嶺要
- 95 杉浦忠, 石井藤吉郎
- 96 藤田元司, 衣笠祥雄
- 97 大杉勝男
- 99 中西太, 広瀬叔功, 古葉竹識, 近藤貞雄
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2000年代 | |
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プレーヤー |
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エキスパート |
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特別表彰 |
1950年代 | |
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1960年代 |
- 60 飛田忠順, 河野安通志, 桜井彌一郎
- 62 市岡忠男
- 64 宮原清
- 65 井上登, 宮武三郎, 景浦將
- 66 守山恒太郎
- 67 腰本寿
- 68 鈴木惣太郎, 田邊宗英, 小林一三
- 69 三宅大輔, 田部武雄, 森岡二朗, 島田善介, 有馬頼寧
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1970年代 |
- 70 田村駒治郎, 直木松太郎, 中馬庚
- 71 小西得郎, 水野利八
- 72 中野武二, 太田茂
- 73 内海弘蔵, 天野貞祐, 広瀬謙三
- 74 野田誠三
- 76 小泉信三
- 77 森茂雄, 西村幸生
- 78 伊丹安広, 吉原正喜, 岡田源三郎
- 79 平沼亮三, 谷口五郎
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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新世紀 |
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