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池田彌三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
池田 彌三郎
人物情報
生誕 (1914-12-21) 1914年12月21日
日本の旗 日本 東京市京橋区
死没 1982年7月5日(1982-07-05)(67歳没)
出身校 慶應義塾大学文学部国文科卒業
学問
研究分野 国文学民俗学
研究機関 慶應義塾大学文学部
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池田 彌三郎(いけだ やさぶろう、1914年12月21日 - 1982年7月5日[1])は、日本国文学者民俗学者随筆家

経歴・人物

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東京市京橋区(現・東京都中央区銀座天麩羅屋"天金"の次男として誕生[2]。叔父は、劇作家演出家池田大伍

京橋区立泰明小学校から東京市立第一中学校(のちの東京都立九段高等学校)を経て、1931年4月、慶應義塾大学経済学部予科に入学。同級に井筒俊彦加藤守雄がいた。1934年4月、文学部国文科に転じ、折口信夫に師事。戸板康二たちと共に、折口主宰の短歌結社「鳥船社」に参加。1937年慶應義塾大学文学部国文科卒業[3]

慶應義塾大学文学部教授時代、1957年から1963年にかけて、NHKのクイズバラエティ番組「私だけが知っている」などに出演し、タレント教授の走りとしても知られた。この間、1962年、『婦人公論』に「大学女禍論」と題する一文を発表し、早稲田大学教授の暉峻康隆と共に、女子学生亡国論を唱えて物議をかもした[4]

慶應義塾を定年退職した後、洗足学園魚津短期大学教授に就任。1977年紫綬褒章受章。1982年、肝硬変が悪化し67歳で死去。墓所は鎌倉霊園。

エピソード

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  • 洗足学園魚津短期大学国文科新設の際、慶應義塾大学工学部長の森為可から主任教授就任の打診を受けたが、「手を貸してくれ、ああ、やりますよ」という簡単なやりとりで決めてしまった[5]
  • 晩年は、自分で工夫し特注で、短冊状の「縦20文字、横5文字」の原稿用紙を作らせ、「このほうが早くめくれるから、気のはずみになる」と称していた[6]
  • 慶應義塾大学文学部を受験する学生に対して国語の試験をするなどとは失礼であるとして、入試教科からいち早く国語を廃止して、小論文を導入させた。一方で、国文科で国語の作問をするのは面倒臭いし、負担が大きいとも述べた。英語の試験で国語力はわかるという考え方から、慶應義塾大学文系では国語の試験がない。 

出演番組

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著作

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著書
  • 芸能岩崎書店・民俗民芸双書 1955年
  • 『文学と民俗学』岩崎書店・民俗民芸双書 1956年
  • 『日本人の芸能』(写真で見る日本人の生活全集) 岩崎書店 1957年
  • 『はだか風土記』大日本雄弁会講談社・ミリオン・ブックス 1958年
  • 『日本故事物語』河出書房新社 1958年
    • 文庫化:河出文庫
  • 『はだか源氏』講談社・ミリオン・ブックス 1959年
  • 『民俗故事物語』河出書房新社 1959年
  • 『日本の幽霊中央公論社 1959年
  • 江戸時代の芸能』至文堂・日本歴史新書 1960年
  • 枝豆は生意気だ』河出書房新社 1961年
  • 『まれびとの座 折口信夫と私』中央公論社 1961年
    • 文庫化:中公文庫 1977年
  • 『池田弥三郎集』(現代知性全集 46) 日本書房 1961年
  • 『日本芸能伝承論』中央公論社 1962年
  • 『ゆれる日本語』河出書房新社 1962年
  • 『芸文散歩 池田弥三郎随筆集』桃源社 1962年
  • 『東京の12章』淡交新社 1963年
  • 『ふるさと・東京』東峰出版 1963年
  • 『ことばの文化』(日本の民俗) 河出書房新社 1964年
  • 光源氏の一生』講談社現代新書 1964年
  • 『銀座十二章』朝日新聞社 1965年
    • 旺文社文庫
    • 朝日文庫
  • 『私の食物誌』河出書房新社 1965年
    • 文庫化:新潮文庫
    • 改題『たべもの歳時記』河出文庫
    • 岩波同時代ライブラリー
  • 『東京横浜安心して飲める酒の店』有紀書房 1965年
  • 俳句俳人物語』ポプラ社 1966年
  • 『おとことおんなの民俗誌』講談社・ミリオンブックス 1966年
  • 『わたしの源氏物語』講談社・ミリオン・ブックス 1966年
  • 『塵々集』雪華社 1966年
  • 『酒、男、また女の話』有紀書房 1966年
  • 『逆立ちの青春像 青年へのガイダンス』池田書店 1966年
  • 『わが師 わが学』桜楓社 1967年
  • 『言語のフォークロア』桜楓社 1967年
  • 『空想動物園』コダマプレス 1967年
  • 『ふるさと日本』鹿島研究所出版会 1967年
  • 広重の江戸』講談社・原色写真文庫 1968年
  • 『日本詩人選 高市黒人山部赤人筑摩書房 1970年
  • 『私説 折口信夫』中公新書 1972年
  • 日本橋私記』東京美術 1972年
  • 『日本の旅人 在原業平 東下り』淡交社 1973年
    • 新版 2020年
  • 『わたしのいるわたし』三月書房 1973年
    • 文庫化:角川文庫 
  • 『世俗の芸文』青蛙房 1973年
  • 『食前食後』日本経済新聞社 1973年
    • 文庫化:旺文社文庫
  • 百人一首故事物語』河出書房新社 1974年
  • 『日本のことわざ 暮らしのなかの知恵』ポプラ社 1975年
  • 『露地に横丁に曲り角』新人物往来社 1975年
  • 『日本人の手紙』白馬出版 1975年
  • 『町ッ子 土地ッ子 銀座ッ子』三月書房 1976年
  • 『たが身の風景』読売新聞社 1976年
  • 『暮らしの中の日本語』毎日新聞社 1976年
  • 『芸能の流転と変容』実業之日本社 1976年
  • 『ことばの中の暮らし』主婦の友社 1977年
    • 河出文庫
  • 『日本文学と民俗』桜楓社 1977年
  • 『わが戦後』牧羊社 1977年
  • 『万葉びとの一生』講談社現代新書 1978年
  • 『わが幻の歌びとたち 折口信夫とその周辺』角川選書 1978年
  • 『わが町 銀座』サンケイ出版 1978年
  • 『東京の中の江戸』国鉄厚生事業協会 1979年
  • 『話のたね』文春文庫 1979年
  • 山手線各駅停車』保育社カラーブックス 1979年
  • 『聴いて歌って』音楽鑑賞教育振興会 1979年[7]
  • 『行くも夢止まるも夢』講談社 1980年
  • 『日本人の心の傾き』文藝春秋 1980年
  • 『郷愁の日本語 市井のくらし』あずさ書房 1980年
  • 『三田育ち』東邦経済社 1980年
  • 『孤影の人 折口信夫と釈迢空のあいだ』旺文社文庫 1981年
  • 『手紙のたのしみ』文春文庫 1981年
  • 『魚津だより』毎日新聞社 1982年
  • 『世俗の詩・民衆の歌 池田彌三郎エッセイ選』 講談社文芸文庫 2007年
  • 『折口信夫芸能史講義 戦後篇 上・下 池田彌三郎ノート』伊藤好英・藤原茂樹・池田光編、慶應義塾大学出版会、2015-2016年
全集
  • 池田彌三郎著作集』(全10巻)角川書店 1979-1980年
  1. 古代および古代学
  2. 芸能伝承論
  3. 芸能民俗誌
  4. 文学伝承論
  5. 身辺の民俗と文学
  6. 伝承の人物像
  7. 折口信夫研究
  8. ことばの民俗学
  9. 暮しの民俗誌
  10. 随筆随想
編著・共著
  • 「日本の女性」(写真でみる日本人の生活全集) 江馬三枝子共著 岩崎書店 1958年
  • 「民謡歴史散歩 第1-4」 宮尾しげを 河出書房新社 1961-1962年
  • 「万葉百歌」 山本健吉共編、中公新書 1963年
  • 久保田万太郎回想」 佐藤朔白井浩司共編 中央公論社 1964年
  • 「民俗学のすすめ」 宮本常一和歌森太郎共編 河出書房新社 1965年
  • 折口信夫回想」 岡野弘彦・加藤守雄共編 中央公論社 1968年
  • 「いろはかるた物語」 檜谷昭彦共著 角川書店 1973年
  • 「迢空・折口信夫研究」 加藤守雄共編 角川書店 1973年
  • 「三田の折口信夫」 慶應義塾大学国文学研究会 1973年
  • 「日本民俗誌大系」(全12巻)編集委員 角川書店 1974年
  • 「味にしひがし」 長谷川幸延共著 読売新聞社 1975年
    • 「味にしひがし」土屋書店・知の雑学新書 2007年
  • 「講座古代学」 中央公論社 1975年
  • 「池田彌三郎対談集 日本人のこころ」 新人物往来社 1976年
  • 「日本民俗文化大系 2 折口信夫 まれびと論」 講談社、1978年[8]
  • 「学研国語大辞典」金田一春彦との共編 学習研究社 1978年
  • 柳田国男と折口信夫」 谷川健一との対話 思索社 1980年
  • 「池田彌三郎 北陸を語る」対談シリーズ 読売新聞北陸支社 1983年
  • 「明解 源氏物語五十四帖」伊藤好英 新編 淡交社 2008年
  • 「池田彌三郎の学問とその後」井口樹生藤原茂樹・慶應義塾大学文学部国文学研究室編・刊、2012年

論文

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脚注

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  1. ^ 池田弥三郎』 - コトバンク
  2. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 87頁。
  3. ^ 慶応義塾編『塾員名簿〔昭和17年版〕』慶應義塾、1942年12月、p.44
  4. ^ もっともその際も、ライバル校への対抗意識からか、池田は暉峻に対し、"早稲田の女子学生は冴えないだろうが、慶應はそうではない"と言ったとされる。
  5. ^ 池田弥三郎『魚津だより』毎日新聞社、1982年4月、19-21頁。 
  6. ^ 村松友視『夢の始末書』より
  7. ^ 音楽随想。
  8. ^ 折口の著作の抜粋・解説。