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中山紀子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オリンピック
女子 バドミントン
オリンピック
1972 ミュンヘン 女子シングルス
ユーバー杯(女子世界大会)
1966 ウェリントン 女子団体
1969 東京 女子団体
1972 東京 女子団体
アジア大会
1966 バンコク 女子シングルス
1966 バンコク 女子団体
1966 バンコク 女子ダブルス

中山 紀子(なかやま のりこ、旧姓:高木、1943年5月30日 -)は、日本バドミントン選手。1972年全英オープンシングルスチャンピオン。ミュンヘンオリンピック公開競技)金メダリスト。

経歴

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静岡県掛川市出身。静岡県立掛川西高等学校でバドミントンを始める[1]日本女子体育短期大学に進学し、1962年全日本総合バドミントン選手権大会女子シングルスと女子ダブルスで初優勝。

1966年ニュージーランドウェリントンで開催された第4回ユーバー杯で日本の初優勝に貢献。1969年の第5回大会、1972年の第6回大会も日本ナショナルチーム主将として優勝し3連覇を達成。

世界選手権がまだ開始されていなかった当時、個人戦の世界最高峰大会だった全英オープンでは1967年大会の女子シングルスで決勝進出を果たし、アメリカのジュディ・ハッシュマン(Judy Hashman)に5-11, 11–8, 12-10で敗れたが、同種目日本勢初の準優勝。その後、1969年および1972年の決勝では湯木博恵と日本勢対決を演じ、1969年は準優勝、1972年は湯木を11-5, 3-11, 11-7で下し、初優勝を達成。これがきっかけで同年の『第22回NHK紅白歌合戦』(NHK総合ラジオ第1)の中部地方代表の地方審査員として出演した[2][3]。女子ダブルスでも1968年天野博江とのペアで日本勢初の準優勝、1971年は湯木博恵とペアを組んで日本勢初優勝を達成している。

公開競技として行われたミュンヘンオリンピック女子シングルスでも優勝し、金メダルを獲得している。

受賞

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  • 1966年 朝日スポーツ賞[4]
  • 1971年 日本スポーツ賞大賞(読売)

脚注

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  1. ^ ミュンヘン金の中山紀子さん「メダル取って」
  2. ^ 第22回(1971年) - TVデータベース”. tvdate1953.wiki.fc2.com. 2024年12月15日閲覧。
  3. ^ 現役のアスリートが地方審査員を務めたケースは、同じ第22回に同年の日本オープンゴルフ選手権競技でローアマとなった当時アマチュアだったプロゴルファーの高橋信雄関東甲信越地方の地方審査員に(第22回は著名人で構成される特別審査員と視聴者代表審査員との括りを廃して地方代表審査員に一本化したが第23回以降は再び特別審査員と視聴者代表審査員に戻した)、第36回(1985年)に当時アマチュアだったプロゴルファーの服部道子が全米女子アマで優勝したことがきっかけで中部地方の地方審査員に、第39回(1988年)1988年ソウルオリンピックスポーツピストル銀メダリストの長谷川智子(現:福島實智子)が近畿地方の地方審査員になった例がある。なお、服部は第49回(1998年)に年間5勝を挙げて賞金女王に輝いたことから特別審査員務めた。地方審査員と特別審査員の両方を務めた初のケースとなった。
  4. ^ 朝日スポーツ賞

関連項目

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