笹原正三
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1954年レスリング世界選手権での対ニコライ・ムザシヴィリ (ru) 戦にて(上が笹原) | |||||||||||||||||||||
個人情報 | |||||||||||||||||||||
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フルネーム | ささはら しょうぞう | ||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||
生誕 | 1929年7月28日 日本・山形県山形市 | ||||||||||||||||||||
死去 | 2023年3月5日(93歳没) 日本・東京都 | ||||||||||||||||||||
スポーツ | |||||||||||||||||||||
競技 | レスリング | ||||||||||||||||||||
種目 | フリースタイル 62kg級 | ||||||||||||||||||||
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笹原 正三(ささはら しょうぞう、1929年(昭和4年)7月28日 - 2023年(令和5年)3月5日[1])は、日本の元アマチュアレスリング選手。山形県山形市出身。
来歴
[編集]中央大学でレスリングを始め、1956年メルボルンオリンピックで日本選手団の旗手を務め、レスリング競技(フリースタイル・フェザー級)で金メダルを獲得[2]、得意技は「またさき」であった。東京オリンピックではフリースタイルのコーチを務めた。
国際レスリング連盟副会長、JOC副会長、1995年夏季ユニバーシアード団長[3]、シドニーオリンピック日本選手団副団長などを歴任し、1989年から2003年まで日本レスリング協会会長に就いた。2006年には国際レスリング連盟殿堂に表彰された。 日本オリンピアンズ協会の副会長も務めている。
レスリング以外での事跡としては1980年にバウンドテニスを考案し、翌年日本バウンドテニス協会を設立、初代理事長に就任した(1989年に会長)。
2018年10月、笹原の母校の山形市立商業高等学校にメルボルンオリンピックの金メダルが寄贈された[4]。このときの報道では、約4年前に脳梗塞を発症して歩行や会話が困難になっていることも明らかにされた[4]。
2023年3月5日0時11分、死去した。93歳没[5]。
戦歴
[編集]- 1953年 - 全日本選手権:優勝
- 1954年
- 世界選手権東京大会:優勝
- 全日本選手権:優勝
- 1955年 - ワルシャワ国際大会優勝
- 1956年
- ワールドカップ:優勝
- 全日本選手権:優勝
- メルボルンオリンピック:優勝
賞(章)歴
[編集]- 1956年 - 日本スポーツ賞
- 1993年 - 紫綬褒章
- 1995年 - オリンピックオーダー銀章
脚注
[編集]- ^ 「【速報】レスリング五輪王者の笹原正三さんが死去」『』共同通信社、2023年3月6日。2023年3月6日閲覧。
- ^ “レスリングのオリンピック日本人男子メダリストを紹介、偉大な功績を残した3選手”. 【SPAIA】スパイア (2020年5月4日). 2020年11月14日閲覧。
- ^ “過去の成績(夏季)”. 日本オリンピック委員会. 2010年3月7日閲覧。
- ^ a b “五輪の金メダル レスリング笹原さん母校に寄贈”. 朝日新聞. (2018年10月4日) 2019年2月2日閲覧。
- ^ “レスリング五輪金メダリスト・笹原正三氏が死去 必殺技の〝また裂き〟で世界を制覇”. 東京スポーツ. (2023年3月6日) 2023年3月6日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- Japanese Olympian Spirits / 笹原正三
- 山形)五輪の金メダル レスリング笹原さん母校に寄贈
- 日本バウンドテニス協会
- 笹原正三 - Olympedia
- 笹原正三 - International Wrestling Database