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1956年メルボルンオリンピック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1956年メルボルンオリンピック
第16回オリンピック競技大会
Jeux de la XVIe Olympiade
Games of the XVI Olympiad
開催国・都市 オーストラリアの旗 オーストラリア メルボルン
 スウェーデン ストックホルム(馬術競技のみ)
参加国・地域数 67
参加人数 3,178人
競技種目数 17競技145種目
開会式 1956年11月22日
閉会式 1956年12月8日
開会宣言 エディンバラ公フィリップ(女王エリザベス2世名代)
選手宣誓 ジョン・ランディ
最終聖火ランナー ロン・クラーク
主競技場 メルボルン・クリケットグラウンド
夏季
冬季
オリンピックの旗 Portal:オリンピック
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1956年メルボルンオリンピック(1956ねんメルボルンオリンピック)は、1956年11月22日から12月8日まで、オーストラリアメルボルンで行われたオリンピック競技大会メルボルン1956(Melbourne 1956)と呼称される。

大会開催までの経緯

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1949年にローマで行われたIOC総会で、次の10都市(5ヶ国)が立候補した。

都市 - 都市
メルボルン オーストラリアの旗 オーストラリア ロサンゼルス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
モントリオール カナダの旗 カナダ デトロイト
ブエノスアイレス アルゼンチンの旗 アルゼンチン サンフランシスコ
メキシコシティ メキシコの旗 メキシコ シカゴ
ミネアポリス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 フィラデルフィア

最終的にIOCはメルボルンとブエノスアイレスの南半球2都市に絞って委員に判断を委ね、結果、メルボルンが21票に対し、ブエノスアイレスが20票で、1票差でメルボルンに軍配が上がった。

だがメルボルンは開催都市に選ばれたものの、準備は遅々として進まず、以後3度のIOC総会でも、メルボルンの準備状態報告は要領を得ないものだった。たまりかねたIOCは、3ヶ月の期限付きで開催可能かどうかの最終的な回答を求め、なければ1952年7月のヘルシンキでの総会で改めて1956年開催地を選定すると引導を渡した。メルボルン側は組織委員会を中心にフル回転せざるを得なくなり、とにもかくにも開催可能の回答を用意し、IOCに返事して一件落着となった[1]

ハイライト

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実施競技

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参加国・地域

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計67。

今大会が初参加は青 参加選手数の色分け
今大会が初参加は青
参加選手数の色分け
Participating National Olympic Committees

なお、以下の5か国は、馬術競技スウェーデンの旗ストックホルムで開催)にのみ参加した。

各国の獲得メダル

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国・地域
1 ソビエト連邦 ソビエト連邦 (URS) 37 29 32 98
2 アメリカ合衆国 アメリカ合衆国 (USA) 32 25 17 74
3 オーストラリア オーストラリア (AUS)(開催国) 13 8 14 35
4 ハンガリー ハンガリー (HUN) 9 10 7 26
5 イタリア イタリア (ITA) 8 8 9 25
6 スウェーデン スウェーデン (SWE) 8 5 6 19
7 東西統一ドイツ 東西統一ドイツ (EUA) 6 13 7 26
8 イギリス イギリス (GBR) 6 7 11 24
9 ルーマニア ルーマニア (ROU) 5 3 5 13
10 日本 日本 (JPN) 4 10 5 19

主なメダリスト

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脚注

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  1. ^ 『近代オリンピック100年のあゆみ』ベースボール・マガジン社、1994年7月20日、148頁。 
  2. ^ 1956 Games (see All Facts section) olympic.org

関連楽曲

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オリンピックの歌(作詞:塩崎敏彦、補作詞:高橋掬太郎、作曲:江口夜詩、歌:林伊佐緒井口小夜子
国民愛唱歌。1956年7月発売(キング)。
若い選手(作詞:池田誠一郎、補作詞:高橋掬太郎、作曲:江口夜詩、歌:津村謙若原一郎春日八郎
「オリンピックの歌」のレコードB面曲。
オリンピック子供の歌(作詞:本間ちづ子、補作詞:高橋掬太郎、作曲:山本雅之

関連項目

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外部リンク

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