コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

パトリシア・マコーミック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
パトリシア・マコーミック
マコーミック (1957年)
個人情報
フルネームパトリシア・ジョーン・マコーミック
生誕 (1930-05-12) 1930年5月12日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国カリフォルニア州 シールビーチ[1]
死去2023年3月7日(2023-03-07)(92歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国カリフォルニア州 オレンジ郡
身長162 cm (5 ft 4 in)
体重58 kg (128 lb)
スポーツ
競技飛込競技
クラブロサンゼルス・アスレチック・クラブ
獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オリンピック
1952 ヘルシンキ 3m飛板飛び込み
1952 ヘルシンキ 10m高飛び込み
1956 メルボルン 3m飛板飛び込み
1956 メルボルン 10m高飛び込み
パンアメリカン競技大会
1951 ブエノスアイレス 高飛び込み
1955 メキシコシティ 飛板飛び込み
1955 メキシコシティ 高飛び込み
1951 ブエノスアイレス 飛板飛び込み

パトリシア・ジョーン・"パット"・マコーミック (Patricia Joan "Pat" McCormick、1930年5月12日 - 2023年3月7日)はアメリカ合衆国の元飛込競技選手。飛板飛び込み・高飛び込みの2つを連覇した (1952年と1956年) 。1956年にアメリカで最も優れたアマチュアアスリートに与えられるジェームスサリバン賞を受賞した。これは女性として2番目の受賞であった。

子供であった1930年代・1940年代には、女性選手の競技が許されていなかった飛込競技を行い、カリフォルニア州ロングビーチのにあるロス・アラミトス橋から飛び込んで練習していたことで有名であった[2]ウッドロウ・ウィルソン高校ロングビーチシティ大学カリフォルニア州立大学ロングビーチ校と進学した[3]

オリンピックの後、飛び込みの遠征を行い、カタリナ水着のモデルとなった。1984年のロサンゼルスオリンピックの組織委員会で勤務し「パッツ・チャンプス」と呼ばれる計画を開始した。これは、子どもに大きな夢を見てもらい、成功するための実用的な方法を整える基盤となるものであった[4]

夫のジョンはAAUの高飛び込みで1950年、51年にチャンピオンになっている。1960年に生まれた娘のケリー・マコーミックもオリンピックの飛込競技で2つのメダルを獲得している。息子は1956年のオリンピックの5か月前に生まれた。

2023年3月7日、カリフォルニア州オレンジ郡にて死去[5]

参考文献

[編集]
  1. ^ Pat McCormick. sports-reference.com
  2. ^ Amazing Moments in Olympic History: Pat & Kelly McCormick”. 2010年1月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年9月12日閲覧。
  3. ^ “Going For Gold”. Beach (California State University, Long Beach): 15. (Summer–Fall 2016). 
  4. ^ Carpenter, Eric (2008年8月3日). “Memories as good as gold”. The Orange County Register: pp. News 6. http://www.ocregister.com/articles/olympics-mccormick-team-2110074-abbott-olympic 
  5. ^ Aguilar, Robert. “Seal Beach’s Olympic Icon Pat McCormick has passed away | Sun Newspapers” (英語). www.sunnews.org. 2023年3月9日閲覧。

外部リンク

[編集]