コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

大橋武夫 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大橋 武夫
おおはし たけお
大橋武夫
生年月日 1904年11月24日
出生地 京都府舞鶴市
没年月日 (1981-10-03) 1981年10月3日(76歳没)
出身校 東京帝国大学法学部
前職 内務省官僚
所属政党 (民主自由党→)
(自由党→)
自由民主党
称号 正三位
勲一等旭日大綬章
親族 濱口雄幸(義父)

日本の旗 第36-37代運輸大臣
内閣 第1次佐藤第3次改造内閣
第2次佐藤内閣
在任期間 1966年12月3日 - 1967年11月25日

日本の旗 第20-21代労働大臣
内閣 第2次池田第2次改造内閣
第2次池田第3次改造内閣
第3次池田内閣
在任期間 1962年7月18日 - 1964年7月18日

日本の旗 第5代法務総裁
内閣 第3次吉田第1次改造内閣
第3次吉田第2次改造内閣
在任期間 1950年6月28日 - 1951年12月25日

内閣 第3次吉田第3次改造内閣
在任期間 1951年12月26日 - 1952年7月31日

選挙区 島根県全県区
当選回数 10回
在任期間 1949年 - 1976年
テンプレートを表示

大橋 武夫(おおはし たけお、1904年明治37年)11月24日1981年昭和56年)10月3日[1])は、日本内務官僚政治家弁護士位階正三位自由民主党所属の衆議院議員労働大臣運輸大臣警察予備隊担当大臣などを歴任。

概要

[編集]

島根県仁多郡三成町(現在の奥出雲町)出身[2]。島根士族大橋只三郎の養子で陸軍少将常三郎の長男[3]。母は代言人北田正董娘の酉。

内務省に入り岡山県警察部長のあと終戦直後の戦災復興院次長となる[4]1949年(昭和24年)の衆議院選挙(島根県全県区)に初出馬当選、1976年(昭和51年)の総選挙で落選、引退するまで連続10回当選[4]。この間第3次吉田内閣法務総裁、国務大臣(警察予備隊担当)など就任[4]

第2次池田内閣労働大臣第1次佐藤内閣運輸大臣を歴任する[4]

濱口雄幸内閣総理大臣は義父。子息に元大蔵省関税局長大橋宗夫、元昭和電工社長大橋光夫がいる。

経歴

[編集]

大日本帝国陸軍少将大橋常三郎の長男として、父親の任地である京都府舞鶴に生まれる。

東京府立一中第一高等学校文科甲類を経て、1924年4月に東京帝国大学文学部社会学科に入学。1925年4月に法学部政治学科に転学し、1927年 文官高等試験司法科・行政科試験に合格。1928年に東京帝国大学法学部政治学科を首席で卒業。内務省に入省する。土木局属[5]

埼玉県社会課長、国際労働総会政府代表委員顧問として欧州各国への出張、傷兵保護院業務局補導課長、厚生省労働局賃金課長、内務省土木局計画課長、戦災復興院計画局長、同次長を経て、1949年 第24回衆議院議員総選挙民主自由党から島根県全県区にて立候補し当選を果たす(当選同期に池田勇人佐藤栄作前尾繁三郎橋本龍伍麻生太賀吉小渕光平西村英一橋本登美三郎福永健司塚原俊郎藤枝泉介木村俊夫稲葉修河本敏夫森山欽司床次徳二有田喜一など)。以後当選10回。翌1950年第3次吉田第1次改造内閣法務総裁に抜擢された。

法務総裁時代に最高検次長検事木内曽益を札幌高検検事長にし、後任に岸本義広広島高検検事長を起用する人事に関する「木内騒動」が起こり、馬場義続とは「二重煙突事件」で対決した。また、国家公務員レッドパージを指揮した。在職中に不正入出国に関する件で衆議院行政監察特別委員会に証人喚問された[6]1951年には、警察予備隊担当大臣となり、同隊の育成に努めた。

保守合同後は池田派佐藤派福田派に所属。1962年第2次池田第2次改造内閣労働大臣1966年第1次佐藤第3次改造内閣では運輸大臣を歴任する。1976年の総選挙で落選し、政界から引退した。

1975年勲一等旭日大綬章受章。1981年10月3日死去。享年76。没後、叙・正三位

1987年10月に『大橋武夫追想録』(中央公論事業出版)が発行された。

人物像

[編集]

カミソリの異名を取るほどの切れ者で仕事に厳しく、部下には容赦なく辛辣な叱責を浴びせ恐れられたが、労相時代は新聞配達少年たちのために「日曜夕刊廃止」を実現に導くなど、きめ細かな人情味をうかがわせる一面もあった。[要出典]

宗教日蓮宗[3]趣味[3]

選挙歴

[編集]
当落 選挙 施行日 選挙区 政党 得票数 得票率 得票順位
/候補者数
比例区 比例順位
/候補者数
当選 第24回衆議院議員総選挙 1949年(昭和24年)1月23日 島根県全県区 民主自由党 59,486 ' '/- - -/-
当選 第25回衆議院議員総選挙 1952年(昭和27年)10月1日 島根県全県区 自由党 95,892 ' ' - -/-
当選 第26回衆議院議員総選挙 1953年(昭和28年)4月19日 島根県全県区 自由党 60,660 ' ' - -/-
当選 第27回衆議院議員総選挙 1955年(昭和30年)2月27日 島根県全県区 自由党 75,039 ' ' - -/-
当選 第28回衆議院議員総選挙 1958年(昭和33年)5月22日 島根県全県区 自由民主党 79,791 ' ' - -/-
当選 第29回衆議院議員総選挙 1960年(昭和35年)11月20日 島根県全県区 自由民主党 89,878 ' ' - -/-
当選 第30回衆議院議員総選挙 1963年(昭和38年)11月21日 島根県全県区 自由民主党 81,080 ' ' - -/-
当選 第31回衆議院議員総選挙 1967年(昭和42年)1月29日 島根県全県区 自由民主党 68,008 - -/- - -/-
当選 第32回衆議院議員総選挙 1969年(昭和44年)12月27日 島根県全県区 自由民主党 87,865 - -/- - -/-
当選 第33回衆議院議員総選挙 1972年(昭和47年)12月10日 島根県全県区 自由民主党 61,413 - -/- - -/-
落選 第34回衆議院議員総選挙 1976年(昭和51年)12月5日 島根県全県区 自由民主党 49,580 - -/- - -/-
当選回数10回(衆議院議員10回)


家族・親族

[編集]

大橋家

[編集]
島根県仁多郡三成町[2](のち仁多町、現奥出雲町)、東京都世田谷区上馬町[3]
明治41年(1908年)4月生[3] - 没
義父浜口雄幸
昭和9年(1934年)2月生[3] - 平成27年(2015年)12月23日
同妻(元昭和電工会長安西正夫長女[7]
昭和11年(1936年)1月生[3] -
同妻(元富士銀行頭取岩佐凱実長女[7]

親戚

[編集]

その他

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 大橋武夫』 - コトバンク
  2. ^ a b 『新日本人物大観』(島根県版) 人事調査通信社 1957年 オ…497頁
  3. ^ a b c d e f g h i j k 第二十一版 人事興信録 』(昭和36年)お一三六
  4. ^ a b c d 新訂 政治家人名事典 明治~昭和』119頁
  5. ^ 『日本官僚制総合事典』東京大学出版会、2001年11月発行、265頁
  6. ^ 第10回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第13号 昭和26年5月28日
  7. ^ a b c 神一行 著『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』339頁
  8. ^ 尾瀬あきらぼくの村の話 2巻』講談社東京都、1993年、19頁。ISBN 978-4-06-328313-6。「第11話 運輸大臣」 

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]
公職
先代
藤枝泉介
日本の旗 運輸大臣
第36-37代:1966年 - 1967年
次代
中曽根康弘
先代
福永健司
日本の旗 労働大臣
第20-21代:1962年 - 1964年
次代
石田博英
先代
殖田俊吉
日本の旗 法務総裁
第5代:1950年 - 1951年
次代
木村篤太郎
先代
新設
日本の旗 国務大臣(警察予備隊担当)
1951年 - 1952年
次代
廃止