北田正元
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北田 正元(きただ まさもと、明治21年(1888年)2月11日 - 1978年7月13日)は、日本の外交官。初代駐アフガニスタン公使[1]。父は代言人の北田正董。
経歴
[編集]東京府立一中を経て明治45年(1912年)東京帝国大学法科大学政治学科卒業[2]。外交官及領事官試験に合格し外交官補に任ぜられる[2]。
外務省参事官、大公使館書記官、総領事を歴任[3]。昭和9年(1934年)駐アフガニスタン公使[3]。アミーン・フサイニーなどと面会。昭和15年(1940年)退官[3]。
人物像
[編集]大正11年(1922年)分家する[2]。住所は東京都渋谷区原宿[3]。東京都文京区在籍[3]。
家族・親族
[編集]北田家
[編集]- 父・正董(代言人) - 上総国山辺郡南横川村の人[4]。祖先は上総土気の城主酒井越中守の一門喜多田丹後守の後裔[4]。
- 兄・正寅
- 兄・正平(政治家、鉱山業[2])
- 姉・尊子(作家(北田薄氷))
- 姉・酉(陸軍中将・大橋常三郎の妻)
親戚
[編集]- 大橋武夫[3](姉・酉の子かつ義弟(妻 悌の妹富士の夫)、政治家、元労働大臣、運輸大臣)
- 濱口雄彦(義兄(妻 悌の兄)、銀行家)
- 濱口巌根(義兄(妻 悌の兄)、銀行家)
- 北田正典(兄・正寅の子、実業家)
- 高橋義治(兄・正寅の子朝子の夫、実業家)
- 高橋治之(兄・正寅の孫、朝子の子、実業家)
- 高橋治則(同上、実業家、イ・アイ・イ元社長)
栄典
[編集]- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[5]
脚注
[編集]- ^ 日本・アフガニスタン協会の沿革と業績
- ^ a b c d e 『人事興信録. 第11版』(昭和12年)上キ一〇六
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『第二十一版 人事興信録 上』(昭和36年)き六一
- ^ a b 篠田正作(秋野散史)著『立志の友:智識進歩』(明治25年)百十八
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。