荒川巳次
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荒川 巳次(あらかわ みのじ、安政4年10月6日[1](1857年11月22日) - 昭和24年(1949年)10月1日[2])は、日本の外交官。駐メキシコ公使、駐スペイン公使。
経歴
[編集]鹿児島県出身。父の荒川勇居は海軍主計大監。1880年(明治13年)、工部大学校鉱山学科を卒業[1]。1886年(明治19年)、外務書記生となり、交際官試補、公使館書記官、天津副領事、同一等領事、仁川一等領事を務めた[1][2]。日清戦争の際には大本営附となり、行政庁知事として金州城の行政にあたった[1][3]。その後、天津一等領事、蘇州・杭州一等領事、ロンドン総領事を歴任[2]。1906年(明治36年)に駐メキシコ公使に就任し、1909年(明治42年)には駐スペイン公使に転じ、駐ポルトガル公使を兼ねた[1]。 墓所は青山霊園。
栄典
[編集]家族
[編集]- 父・荒川勇居 - 元鹿児島藩士・海軍主計大監
- 妹・いさ - 貴族院議員・小松謙次郎の妻。謙次郞の姉に和田英、兄に横田秀雄
- 妻・ひで - 元鹿児島藩士・大阪控訴裁判所検事長・橋口兼三の三女
- 長女・きよ - 小西酒造創業家一族の小西壯二郞の妻
脚注
[編集]- ^ a b c d e 人事興信録 1915.
- ^ a b c 外務省外交史料館日本外交史辞典編纂委員会『新版 日本外交史辞典』山川出版社、1992年、23頁。
- ^ 「明治28年 1. 9 臨着1469号 金州城行政庁知事荒川巳次発 大本営副官部大生歩兵中佐宛 金州城行政規則送付」 アジア歴史資料センター Ref.C06061288900
- ^ 『官報』第6652号「叙任及辞令」1905年8月31日。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。