堂之脇光朗
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堂ノ脇 光朗(どうのわき みつろう、1932年2月14日 - 2015年9月7日[1])は、特定非営利活動法人日本紛争予防センター会長。日本の元外交官。瑞宝重光章。
来歴・人物
[編集]東京都に生まれ、東京都立青山高等学校、東京大学法学部を経て1954年に外務省に入省する。
駐ナイジェリア大使、軍縮会議日本政府代表部大使、駐メキシコ大使などを歴任し、1996年に外務省を辞職。その後、東海銀行(のち三菱東京UFJ銀行)顧問、国際連合事務総長軍事諮問委員会議長、日本予防外交センター副会長などを歴任し、2002年からは特定非営利活動法人日本予防外交センター副会長を務めている。公益財団法人日本国際フォーラム政策委員[2]。
主な職歴
[編集]- 1953年10月15日 外交官領事官採用試験合格[3]
- 1954年3月 東京大学法学部卒業
- 1954年4月 外務省入省
- 1969年6月23日 アメリカ局調査官[4]
- 1969年8月4日 外務大臣官房国際資料部分析課長[5]
- 1973年6月5日 在アメリカ合衆国日本国大使館一等書記官[6]、のちに参事官
- 1975年12月20日 在中華人民共和国日本国大使館に配置換[7]、のちに兼在カンボディア日本国大使館
- 1978年10月16日 大臣官房調査部外務参事官[8]
- 1979年10月29日 欧亜局外務参事官[9]
- 1980年4月5日 大臣官房審議官兼欧亜局[10]
- 1982年2月16日 在ホノルル日本国総領事館総領事[11]
- 1984年1月27日 中南米局長[12]
- 1986年1月21日 大臣官房勤務[13]
- 1986年4月7日 ナイジェリア国駐箚特命全権大使[14]
- 1989年8月1日 軍縮会議日本政府代表部特命全権大使[15]
- 1992年4月28日 臨時本省事務従事[16](待命大使)
- 1993年4月13日 メキシコ国駐箚特命全権大使[17]
- 1993年10月22日 メキシコ国兼ベリーズ国駐箚特命全権大使[18]
- 1993年12月24日 メキシコ国兼ハイティ国ベリーズ国駐箚特命全権大使[19]
- 1995年4月11日 メキシコ国兼ベリーズ国駐箚特命全権大使[20]
- 1995年10月13日 メキシコ国兼ベリーズ国駐箚を免ぜられる[21]。
- 1996年12月26日 外務省依願退職[22]、同参与(2004年まで)
- 1996年 東海銀行顧問
- 1996年 国連事務総長軍事諮問委員会議長
- 1997年 同再任
- 1999年 日本予防外交センター副会長
- 2002年 特定非営利活動法人日本予防外交センター副会長
- 2015年 逝去。叙従三位。[23]
脚注
[編集]- ^ “当センター会長の訃報に関するお知らせ”. 認定NPO法人日本紛争予防センター. 2015年10月7日閲覧。
- ^ “委員”. 日本国際フォーラム. 2014年2月25日閲覧。
- ^ 昭和28年10月17日付け『官報』第8037号、406頁。
- ^ 昭和44年6月25日付け『官報』第12756号、14頁。
- ^ 昭和44年8月6日付け『官報』第12792号、18頁。
- ^ 昭和48年6月7日付け『官報』第13933号、10頁。
- ^ 昭和50年12月23日付け『官報』第14692号、16頁。
- ^ 昭和53年10月18日付け『官報』第15528号、9頁。
- ^ 昭和54年10月31日付け『官報』第15836号、5頁。
- ^ 昭和55年4月8日付け『官報』第15963号、15頁。
- ^ 昭和57年2月18日付け『官報』第16515号、12頁。
- ^ 昭和59年1月30日付け『官報』第16515号、12頁。
- ^ 昭和61年1月23日付け『官報』第17682号、9頁。
- ^ 昭和61年4月9日付け『官報』第17745号、12頁。
- ^ 平成元年8月4日付け『官報』第158号、11頁。
- ^ 平成4年5月1日付け『官報』第901号、10頁。
- ^ 平成5年4月19日付け『官報』第1139号、11頁。
- ^ 平成5年10月26日付け『官報』第1267号、8頁。
- ^ 平成5年12月28日付け『官報』第1309号、12頁。
- ^ 平成7年4月13日付け『官報』第1624号、8頁。
- ^ 平成7年10月18日付け『官報』第1753号、12頁。
- ^ 平成8年1月8日付け『官報』第1805号、12頁。
- ^ 平成27年10月16日官報