重光晶
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重光 晶(しげみつ あきら、1915年1月15日 - 2000年8月27日)は、日本の外交官、外交評論家。位階は正三位。
外務省国際連合局長を経て、駐ナイジェリア特命全権大使や、駐ソビエト連邦特命全権大使を務めた。重光葵元外務大臣の甥。
人物・経歴
[編集]石川県金沢市生まれ[1]。東京出身[2]。1935年静岡高等学校文科丙類卒業[3]。1936年東京帝国大学法学部政治学科に入学。1938年に外交官試験に合格し、大学を中退した[4][1][2]。1939年に外務省に入省し[5]、ポーランド、ラトビア、ブルガリアでロシア語研修を受ける[4]。
1951年から外務省条約局第三課長を務め[6]、1952年からは外交官領事館採用試験専門試験委員(憲法)や[7][8]、外務書記採用試験専門試験委員も担当した[9]。
在連合王国日本国大使館一等書記官を経て、1957年在インド日本国大使館一等書記官[10]。1959年外務省欧亜局外務参事官[11]。1961年在ソビエト連邦日本国大使館参事官兼在ルーマニア日本国公使館参事官[12]。1965年駐ルーマニア特命全権大使[13]。
1968年外務省国際連合局長[14]。1970年駐ナイジェリア特命全権大使[15]。1974年駐ソビエト連邦特命全権大使[16]。退官後は、外交評論家として活動した[17]。1986年勲二等旭日重光章受章[18]。2000年叙正三位[19]。
親族
[編集]著書
[編集]- 『世界における日本の経済 . 国際政治と平和』(吉野俊彦と共著)帝国地方行政学会 1969年
- 『これからのソ連』日本国際問題研究所 1978年
- 『ソ連農業の統計的研究』日本国際問題研究所 1979年
- 『ソ連を見る眼』日本国際問題研究所 1980年
- 『「北方領土」とソ連外交』時事通信社 1983年
- 『ソ連の国民経済』東洋経済新報社 1989年
- 『これからの「国際社会」』外務省 1994年
出典
[編集]- ^ a b 宝石 4(8) (光文社, 1976-08)
- ^ a b 東京帝国大学一覧 昭和14年度
- ^ 官報 1935年03月25日
- ^ a b 自由思想 (36) 石橋湛山記念財団 編 (石橋湛山記念財団, 1985-08)
- ^ 政経人 16(9) (政経社/総合エネルギー研究会, 1969-09)
- ^ 官報昭和26年本紙第7489号 489頁
- ^ 官報官報昭和27年本紙第7720号 605頁
- ^ 官報昭和27年本紙第7717号 517頁
- ^ 官報昭和27年本紙第7774号 67頁
- ^ 官報昭和32年本紙第9055号 46頁
- ^ 官報昭和34年本紙第9706号 66頁
- ^ 官報昭和36年本紙第10325号 539頁
- ^ 官報昭和40年本紙第11515号 15頁
- ^ 官報昭和43年本紙第12324号 13頁
- ^ 官報昭和45年本紙第12926号 15頁
- ^ 官報昭和49年本紙第14109号 10頁
- ^ 世界週報 65(20)(3155);1984・5・22 (時事通信社, 1984-05)
- ^ 官報昭和61年号外第59号 11頁
- ^ 官報平成12年本紙第2967号 7頁
- ^ 創 7(1)(63) (創出版, 1977-01)
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