コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

鹿取泰衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

鹿取 泰衛(かとり やすえ、1921年7月16日[1] - 2003年1月11日)は、日本外交官位階正三位

外務大臣官房長、外務審議官、駐中国特命全権大使、駐ソ連特命全権大使。

人物・経歴

[編集]

宮城県仙台市出身[2]。1941年浦和高等学校文科乙類卒業[3]。1943年東京帝国大学法学部政治学科中退、外務省入省[4][5]ドイツ語研修を受ける[6]在ドイツ日本国大使館一等書記官を経て、1963年外務省欧亜局西欧課長[7]。1965年外務省外務大臣官房会計課長[8]。1967年外務省北米局外務参事官[9]。同年在シアトル日本国総領事館総領事[10]。1969年在インド日本国大使館参事官[11]。1970年外務省経済協力局外務参事官[12]。1972年外務省外務大臣官房[13]。1974年外務省経済協力局[14]。1975年オーストリア国駐箚特命全権大使国際原子力機関理事会理事たる日本政府代表[15]。1979年外務審議官[16]。1981年中華人民共和国駐箚特命全権大使[17]。1984年ソヴィエト連邦駐箚特命全権大使[18]。1987年国際交流基金理事長[2]。1992年国際交流基金顧問[19]。1993年日本外交協会理事長[20]。同年、勲一等瑞宝章を受章[1]。2003年1月11日、呼吸不全のため東京都目黒区三田の自宅で死去[2][1]。同年正三位[21]

家族

[編集]

外交官の鹿取克章は子[22]

出典

[編集]
  1. ^ a b c 『現代物故者事典2003~2005』(日外アソシエーツ、2006年)p.168
  2. ^ a b c 鹿取泰衛氏死去/元駐ソ連大使四国新聞2003/01/11 22:53
  3. ^ 浦和高等学校一覧 第18年度(自昭和14年至昭和15年)
  4. ^ 外交フォーラム 10(10)(110) 都市出版1997-09
  5. ^ 国際開発ジャーナル 5月(423)
  6. ^ 月刊官界 12(4) 行研 1986-04
  7. ^ 官報昭和38年本紙第10949号 12頁
  8. ^ 官報昭和40年本紙第11517号 17頁
  9. ^ 官報昭和42年本紙第12181号 23頁
  10. ^ 官報昭和42年本紙第12203号 20頁
  11. ^ 官報昭和44年本紙第12688号 11頁
  12. ^ 官報昭和45年本紙第12977号 13頁
  13. ^ 官報昭和47年本紙第13609号 10頁
  14. ^ 官報昭和49年本紙第14233号 11頁
  15. ^ 官報昭和50年本紙第14577号 14頁
  16. ^ 官報昭和54年本紙第15852号 12頁
  17. ^ 官報昭和56年本紙第16393号 6頁
  18. ^ 官報昭和59年本紙第17199号 8頁
  19. ^ 鹿取 泰衛 Deutsches Institut für Japanstudien
  20. ^ 協会の歩み日本外交協会
  21. ^ 官報平成15年本紙第3548号 8頁
  22. ^ 日本を元気にするオピニオン雑誌 13(4) 書誌情報 : 文藝春秋 1981-04
先代
佐藤正二
国際交流基金理事長
1987年 - 1992年
次代
浅尾新一郎
先代
内田藤雄
日本外交協会理事長
1993年 - 1998年
次代
坂本重太郎