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島津久大

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1967年

島津 久大(しまづ ひさなが、1906年明治39年)5月24日 - 1990年平成2年)12月9日[1])は、日本外交官位階正三位。初代迎賓館長。

経歴・概要

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1906年明治39年)5月24日公爵島津忠済・田鶴子夫妻の次男として東京に生まれる[2]。父忠済は島津久光の七男で貴族院議員宮内省宗秩寮審議官などを務めた。

1930年(昭和5年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し、外務省に入省する。戦前はイギリス書記生(オックスフォード大学留学)、イギリス在勤、中華民国在勤、外務大臣秘書官ラングーン総領事などを歴任[3]。戦後、1948年(昭和23年)から賠償庁次長[4][5]1949年(昭和24年)から外務省政務局長[6]1951年から1952年、および1955年から1956年の2回、外務省大臣官房長を務める。この間、1952年から1954年までニューヨーク在外事務所長を務める。1958年(昭和33年)ニュージーランド駐箚特命全権大使1959年(昭和34年)パキスタン駐箚特命全権大使。1961年(昭和36年)スペイン駐箚特命全権大使。1963年(昭和38年)タイ駐箚特命全権大使。1964年(昭和39年)カナダ駐箚特命全権大使。1966年(昭和41年)中華民国駐箚特命全権大使。退官後の1969年(昭和44年)日本国際問題研究所の理事長を経て、旧赤坂離宮が改修され迎賓館ができると、1974年(昭和49年)初代迎賓館長に就任した。1980年(昭和55年) 勲一等瑞宝章を受章[1][2]1990年平成2年)12月9日死去。84歳[1]。叙正三位[7]

訳書

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  • エセル・ハワード『薩摩国見聞記 - 一英国婦人の見た明治の日本』新人物往来社、1978年
  • ヘンリー・B・シュワルツ『薩摩国滞在記 - 宣教師の見た明治の日本』長岡祥三共訳、新人物往来社、1984年。ISBN 9784404012425

栄典

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家族・親族

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脚注

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  1. ^ a b c d “島津久大(シマヅ ヒサナガ)とは”, コトバンク, https://kotobank.jp/word/島津+久大-1646740 2018年1月2日閲覧。 
  2. ^ a b “島津氏(分家・久光家) - Reichsarchiv ~世界帝王事典~”, 世界帝王辞典, https://reichsarchiv.jp/%E5%AE%B6%E7%B3%BB%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E6%B0%8F%EF%BC%88%E5%88%86%E5%AE%B6%E3%83%BB%E4%B9%85%E5%85%89%E5%AE%B6%EF%BC%89 2018年1月2日閲覧。 
  3. ^ 『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年
  4. ^ 官報 1948年02月20日
  5. ^ 官報昭和24年本紙第6837号 308頁
  6. ^ 官報 1950年01月17日
  7. ^ 官報平成2年本紙第536号 8頁

外部リンク

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先代
新設
賠償庁次長
初代:1948年-1949年
次代
石黒四郎
先代
大野勝巳
外務省政務局長
5代:1949年-1951年
次代
廃止
先代
徳永太郎
日本国際問題研究所理事長
4代:1969年-1973年
次代
高橋通敏