杉村虎一
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杉村 虎一(すぎむら こいち、安政4年5月10日[1](1857年6月1日) - 昭和13年(1938年)2月10日[2])は、日本の外交官。駐メキシコ公使、駐スウェーデン公使、駐ドイツ大使。
経歴
[編集]加賀国金沢で加賀藩の下級武士杉村精一の次男として生まれた[4]。慶應義塾から東京外国語学校を経て[4]1876年(明治9年)、司法省法学校を卒業し[1]、司法省に出仕した[2]。同省での勤務のかたわら明治法律学校(のちの明治大学)にも出講[4]。1884年(明治17年)、外務省御用掛に転じ、交際官試補、公使館書記官、駐メキシコ弁理公使、同公使、スウェーデン公使、ドイツ大使を歴任[1]。1914年(大正3年)、日独戦争のため帰国した[1]。退官後の1922年(大正11年)に明治大学理事[4]、1935年(昭和10年)に同名誉顧問・商議員となった[4]。1938年(昭和13年)2月10日、インフルエンザのため麻布区飯倉片町の自宅で死去[5]。墓所は多磨霊園(5-1-16-17)
栄典
[編集]- 位階
- 勲章
親族
[編集]- 杉村寛正 - 兄[1]。衆議院議員。
- 杉村文一 - 弟。紀尾井坂の変で大久保利通を暗殺したため死刑となった。
- 相良頼紹 - 妻の父[1]。子爵。旧人吉藩主。貴族院議員。
- 杉村月男 - 長男。妻の嘉子は岩倉道倶男爵の長女で、岩倉具視の孫。子が死産し、家の後継者がなかったため親族の永田家が継承した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 明治大学史資料センター 『明治大学小史―人物編』 学文社、2011年 ISBN 978-4-7620-2217-3