岡田兼一
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岡田 兼一(おかだ かねかず、1882年(明治15年)4月 - 1960年(昭和35年)7月24日[1])は、日本の外交官。駐南アフリカ連邦公使。
経歴
[編集]山形県出身。東京外国語学校(現在の東京外国語大学)や東京専門学校(現在の早稲田大学)で学んだ[2]。1916年(大正5年)、外交官及領事官試験に合格し、広州に領事官補として赴任した[2]。以後外務事務官、通商局第二課勤務、臨時平和条約事務局勤務、イギリス大使館三等書記官、スウェーデン公使館三等書記官、同二等書記官、ストックホルム領事、牛荘領事・関東庁事務官、安東領事・朝鮮総督府事務官、間島総領事・朝鮮総督府事務官を歴任した[2]。1932年(昭和7年)にホノルル総領事に転じ、1934年(昭和9年)からは外務省文化事業部長を務めた[2]。1938年(昭和13年)、駐南アフリカ連邦公使に就任した[2]。
1941年(昭和16年)に退官した後は、青島居留民団長となった[3]。
栄典
[編集]- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[4]
脚注
[編集]- ^ 外務省外交史料館日本外交史辞典編纂委員会『新版 日本外交史辞典』山川出版社、1992年、115頁。
- ^ a b c d e 人事興信録 1939.
- ^ 人事興信録 1943.
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第12版(上)』人事興信所、1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(上)』人事興信所、1943年。
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